真の父母様は、一九六〇年七月二十日から四十日間、韓国全土の四百十三の地域に、七百人以上の人々を派遣して行った啓蒙運動を皮切りに、国民教育を大々的に展開された。神様の復帰摂理から見れば、世界の中心国家である韓民族の運命は、世界の運命と直結しているため、韓民族に対する啓蒙運動は、世界人類を覚醒させる前哨戦のようなものであった。それゆえ、若者を動員し、韓民族の摂理的使命に目覚めさせる国民運動として、勝共活動を始められたのである。勝共運動は、既存の反共政策が限界に至ったことを認識した土台の上で始まり、共産主義理論の限界と虚構性を論理的に批判し、その代案を提示することにより、国民思想運動として大きな役割を担った。
1 韓民族はかわいそうな民族です。長い歴史路程を経てきましたが、他の民族の前に豪語して進み出られるいかなる内容ももち得なかった民族です。もっているものもなく、誇るものもありません。
しかし、この民族が二十一世紀の新文化時代に、神様が願われる心情を抱き、人類の悲しみと苦痛を抱き締めて身もだえする民族になれば、さらには、神様の悲しみと苦痛を抱いて身もだえする民族になれば、世界を指導し、天の愛を受ける民族となるでしょう。
2 今日、韓民族のことを世界で一番哀れな民族だと言いますが、お父様は韓民族に一番の希望をもっています。民主世界と共産世界が対峙していますが、韓民族は絶対に哀れな民族ではありません。この韓民族に天的な動きがあるとすれば、韓民族は生きるのです。歴史は韓民族の歴史に、世界は韓民族の世界になってしまうでしょう。これは、私の言葉ではありません。分かってみれば、そのようになっているので話すのです。
歴史の背後から付いてこられる神様の解怨成就は、悲しみの路地裏から成し遂げられてきました。そこから喜びの基盤がつくられ、足場ができてきたのです。ですから、韓国は世界で問題になり、全世界のキリスト教の中で問題になるでしょう。これからは、統一教会が世界的な問題として台頭するでしょう。それは、自慢ではありません。よく祈る人は分かるでしょう。霊通した人は、証するのです。しなければ、天上の法に引っ掛かります。ですから、皆さんもしっかりと覚悟しなければなりません。途中でやめてはいけません。私たちの前にいかなる迫害が来ても、問題視しないという信念をもたなければならないのです。私たちが倒れたとしても、天のみ前に立てようとする忠孝の伝統を立てなければなりません。忠男、忠女の伝統、烈男、烈女の伝統、孝子、孝女の伝統さえ立てておけば、統一教会は使命を果たすのです。
3 三千万の民族(韓民族)が神様を知らなかったとしても、神様は韓民族の歴史と共にいらっしゃいました。義の心情を抱き、忠臣の道理を立てるために刑場の露と消えた、ある忠臣がいるとすれば、神様はその人の足跡とその人の心情、またその人が属している民族と共にいらっしゃったのです。
今日の「私」は、負債を負った者です。韓民族は、負債を負った民族の中(でも、より多く)の負債を負った民族です。かわいそうな人を救おうとする神様であり、堕落した子女を抱いて痛哭される父母の心情をもった神様であれば、豊かに一暮らす民族よりも、貧しい民族を見つめながら、より哀れに思われるでしょう。韓民族は、他の民族に誇るものは何もありません。持つべきものを持てませんでした。すべて奪われてしまい、すべて失ってしまいました。
ここで、再び私たちが何かをもつことができるとすれば、私は「血が沸き立ちながらも、行くべき道が分からずにさまよっている青年男女たちの心の中に、イエス様が神様に対して父と呼んだ燃え上がる心情をもたせてください」と願うのです。彼らがそのようになれば、この韓民族を他の民族が支配することはできないでしょう。私たちを哀れに思って御覧になる父の心情の前に、「(天の)お父様!私はこのように活動しました」と進み出る息子、娘が多くいれば、神様はこの世界と主義、思想を新たに生まれ変わらせるでしょう。そのような青年男女、そのような民族がいるとすれば、彼らは世界を支配するのです。
4 神様の願いが私たちの肩にかかっています。私たちは、天の主権を民族と人類と天宙に立てなければなりません。神様は、皆さんが自覚し、勝利の実績を残すことを待ち望んでいらっしゃいます。それはほかでもない、失われた天の民族と国土と主権を回復することです。
韓民族は、自覚することができずに眠っています。自分がどのようになっているのか、国土がどのようになっているのか、主権がどのようになっているのかを知らずにいるのです。私たちは彼らに、失われた民族と国土、主権を天宙に立てなければならないことを悟らせてあげなければなりません。命を懸けて回復させなければなりません。私たちは、天の民族と国土と主権を取り戻すために悔い改め、天の勇士として闘志をもって勇進すべき使命を帯びていることを、自覚しなければならないのです。
お父様も、責任を自覚してからは、寝ても覚めても、食べるときも、ただこれだけのために生活しました。自覚できない韓民族を自覚させる責任を負ったので、自負心をもって進むようにお願いします。
5 この地球上で最も大きな事件が起きたのですが、その事件が正に、共産主義の出現です。これがなぜ大きな事件なのでしょうか。厳然と生きていらっしゃる神様に対して、「死んだ」と言うからです。言い換えれば、共産主義は、神様が厳然と生きていらっしゃるにもかかわらず、「いない」と言うのです。罪の中で最も大きな罪とは、明らかにいるにもかかわらず、「いない」と言うことです。目をらんらんとさせて生きているのに、その人のことを「死んだ」と言えば、怨讐の中の怨讐になるのです。
自分の父母が生きているのに、「父母は死んだ」と言えば、それ以上の不孝はありません。それと同じように、神様が生きていらっしゃるにもかかわらず、「神は死んだ」と言うならば、それ以上の怨讐はないのです。この怨讐の主人公が共産主義です。ですから、共産主義に関するすべてのものを打破してしまわなければなりません。それゆえ、「勝共思想」で思想武装しなければならないというのです。
6 自分が最も愛するものは、自分だけでなく、家族全員が愛し、民族も愛し、さらには、全世界の人類が愛し、天と地、すべての存在が愛するものでなければなりません。それは、自分が愛する息子でもなく、夫婦でもなく、父母でもありません。それは、正に神様です。心情の流れる道筋の根として連ねることができ、誰も動かすことがてきず変更することができず、引き離すことができない、そのような中心的心情の主体である神様だというのです。
神様を愛するときには、民族的な隔たりも、いかなる伝統的な隔たりもありません。民族を超越し、伝統を超越し、環境を超越した立場で、万民が共通に愛し得る主体が神様です。人間が神様と自分との関係を知って、縁を結ぶ立場に進むようになれば、神様を愛さざるを得ないようになっているのです。ですから、神様は一体の場をつくるために、この世界を収拾してきています。それで、まず希望の一点を探し出すために、今まで思想と理念を中心として闘ってきたのです。これが今日、民主と共産の対決にまで至りました。
しかし、この世界は民主主義でも駄目であり、共産主義でも駄目だというのです。この二つは、より優れた一つの理念で糾合されなければなりません。全世界の人類は異口同音に、「一つの理念を追求し、(それを)謳歌できる時代に越えていかなければならない」と言っています。ですから、私たちは、神様と人類を一つにすることを一つの希望として、その途上に立っているのです。
7 今日の世界は、民主世界と共産世界に分かれています。ところが、民主世界が共産世界に追われている状況です。それは、民主主義に共産主義を凌駕できる思想的な内容がないからです。ですから、私たちがこれから、共産主義を凌駕できる主義と思想を立てなければなりません。それが天宙主義です。
天宙主義を中心として共産主義を批判できる道を模索しなければなりません。このことを一九六二年から準備し、一九六五年に始めました。共産主義に勝てる団体は、正に全国で大きく成果を収めている勝共啓蒙団です。
8 私たちは、世界的に拡大している共産主義を打倒するために闘っていかなければなりません。共産主義が世界の三分の一をのみ込み、民主主義の宗主国であるアメリカまで、その組織に引き入れようとしています。ところが、統一教会が、「共産党を打ち倒そう」と言いながら立ち上がって闘っているのです。このような私たちに対して、世の中の人々は関心がありませんでした。しかし、彼らは誤解していたのです。
最近、立場が逆転しました。今や「統一教会の講師でなければ駄目だ」と言って、車で探し回りながら、先を争って講師を連れていこうとしています。彼らは、統一教会が「共産党に勝とう」と言っているので、「勝共啓蒙団」という名前まで付けてくれました。ヤコブには、天使がイスラエルという名前を付けてくれました。ヤコブがそのように勝利したのと同じように、私たちも実権を握っていかなければなりません。共産党を自然屈伏させるのは、私たちでなければならないようになっています。思想的な面で、「統一思想」でなければならないというのです。
9 皆さんは、統一の理念をもって壁を越え、境界線を越えて、三千里半島と三千万の民族(韓民族)の前に進み出なければなりません。道端にいる青年たちであっても、連れてきて「統一理念」で教育しなければなりません。今、韓国の実情は、そのようなことが起きなければならない時です。そうでなければ、滅びるようになるというのです。
そして、この道を行くには、父母の心情をもち、僕の体で、涙は人類のために、汗は地のために、血は天のために注がなければなりません。そのようにしてこそ、皆さんの涙と汗と血の価値を、人類と地と天が分かってくれるのです。
神様は祭物の足場に乗ってこられます。ですから、統一教会の信徒は、個人的な祭物時代を経て、民族的な祭物の責任を果たし、世界的な祭物の道に進んでいかなければなりません。
10 民主世界の主体国であるアメリカを中心とした国々が、「神は死んだ」という内容をもって、一九六七年に世界を大きく騷がせました。歴史上に恨を残す出来事です。「神は死んだ」と言うのですが、三年以内に復活する時が来るというのです。イエス様は三日目に復活しました。死んだので、再び生きる時が必ず来るというのです。
それでは、このような役事(働き)を誰がするのでしょうか。今日の民主世界のキリスト教ではできません。世界的な思想をもった共産主義を凌駕できる理論を、キリスト教は備えることができていません。共産主義を凌駕できる理論をもった統一教会がしなければならないのです。ですから、統一教会は反共思想だけでなく「勝共思想」を掲げてきたのです。「共産党に理論で勝たなければなりません。「共産主義理論は、これこれこのような所が間違っている」と批判するだけでなく、その代案までも提示しなければなりません。
現在、統一教会が「勝共思想」をもって先頭に立っていますが、統一教会はまず、世界に向かって「神様は生きていらっしゃる」と宣布しなければなりません。今日の世界は、神様の運勢がそがれていく、最後の峠道に直面しています。そのような運命の道で、新しい理念を中心として、共産主義の無神論思想を退け、民主世界を神様の側に導いていく使命を、統一教会が果たさなければなりません。
Create your
podcast in
minutes
It is Free