真のお父様は、一九八五年二月一日早朝、ダンベリー連邦刑務所からイースト・ガーテンにいらっしゃる真のお母様に電話をかけられ、霊界と肉界の門を大きく開いて連結する「開天門の日」を宣布された。そして、「これを通して地獄から天国にまで上がれる高速道路を築いた」と語られた。
1 お父様は、一人でゴリアテの前に現れたダビデのようにアメリカと闘っています。現在、闘い始めて十三ヵ月目です。十三数は、アメリカでは一番悪い数です。十三ヵ月間闘って終わらせるのです。四百日近く闘ってきているのです。
監獄に入り、天上にまで上れる道を開いておきました。地上地獄から天上まで高速道路を造ったのです。ですから、父母様として立ち得る条件を、監獄にいる期間にすべて立てました。
2 お父様は、一生を経ながら、父母の立場で子女たちが行くべき道に責任をもち、すべて築き上げました。皆さんが父母様を愛するその愛で、人類を愛する立場に立つようになれば、皆さんは父母様と一つになり、(父母様と)水平に立つようになります。そのようになれば、堕落した心情圏はその下に位置するようになるので、サタンが皆さんに手を出すことはできません。皆さんは、天の国に直通できるというのです。そのようなことを始めるためのものが、「開天門の日」宣布です。
私がダンベリーにいる時にしたのです。一九八四年七月から翌年一月まで、十三ヵ月の監獄生活の半分となる七ヵ月の期間に、監獄の一番どん底、地獄のどん底に入っていって門を開きました。その門を開いたので、心情圏を中心として、サタン世界を解放してあげられるのです。
3 一九八五年二月一日に、天上世界と地獄の門を開く「開天門の日」を宣布しました。極と極の位置に立てておいて連結したのです。平衡の極ではなく、垂直的な極です。これを連結する場で、初めて解決点が生じるのです。霊界と肉界を連結させるのです。神様の心をもって、愛の力が連結される業をしなければなりません。
4 地獄を解放しなければ、天国が完成しません。堕落する前は地獄がありませんでした。サタンの血で汚された根を天の血で清め、本然の根の形態を備えて再び実を回復するようになる時、天国の門が開かれるのです。
そのようなみ旨を知っている私たちが見るとき、天国の門が開かれる前に地獄が生じたというのは、悲惨な話です。「地獄がある」という話自体が悲惨なのです。堕落によって地獄ができました。地獄ができたので、地獄まで天国にしなければならないのです。真の父母は、地獄解放まで提示できる心情圏を、すべて展開させておかなければなりません。世界が切迫しているというのです。
5 霊界に行っている先君の王権を中心とした忠臣烈女たちが地上に降りてきて、「真の父母の王権を中心とした理想圏で、父母様にみな従っていきなさい」と言いました。霊界でも、父母様の知らせをすべて聞くのです。これからは良い知らせが入ります。みな「有名だ」と言うようになっています。ですから、「悪い」という言葉は消え、「良い、良い」といううわさが立って、霊界にいる自分の先祖たちがしきりに来て、教えてくれるのです。
霊界にいる善なる先祖たちが地獄にまで入っていって教育するのです。その門を私がダンベリーで開いておきました。一九八五年二月一日の午前三時に、監獄で、お母様と共に、地獄と天国に高速道路を造っておいたのです。
高速道路は通りましたが、準備をしなければなりません。車がなければならず、運転を習わなければならず、ガソリンがなければなりません。それは、皆さんにはないのです。自分の先祖たちがもってくるのです。自分の先祖たちが車をもってきてガソリンを入れ、運転を教えてくれて、善なる霊界に引き上げる運動を始めたというのです。
6 統一教会によって天国の門は開かれたのですが、まだお父様が行っていないので、天国に入った人はいません。私が探しに探し、底まですべてかき回して合わせてみると、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、霊界、天の国の玉座まで直通できるたった一つの道があるというのです。
その道には、愛の旗で信号を送らなければならないのであって、それ以外の信号では通じません。行くことができないのです。天国に行く自信がありますか。愛の自動車を運転していくのです。そのようになれば、天使は愛の自動車に信号を遂り、天国に案内するのです。そこは高速道路になっています。
お父様はダンベリーで、お母様はイースガーテンで、初めて天と地が通じる門を開きました。ですから、天上世界に何千年も前に行った人々が天国に行こうとすれば、自分の子孫たちを通して、地獄を経由し、地上の位置に来なければなりません。天国に行こうとすれば、地獄に勝たなければなりません。地獄に勝った人が天国に行くのです。
7 私は、アメリカのどんな先祖よりも、血の涙を流しながら神様を紹介しました。ところが、彼らは反対に、自分たちの野心のために血を流させたのです。このようにして監獄に入って出てきたので、世界の長子権復帰が成立したのです。すべて、打たれて奪ってくる作戦を取りました。そこから世界復帰、天宙復帰時代になるのです。地獄世界解放のための闘いをしました。
アメリカで、一九八五年二月一日午前三時を中心として、開天門の役事を行ったのです。
私が自分自身のことをまず考え、統一教会を考えたならば、監獄に入りません。アメリカのことだけを考えるのではありません。地獄の門を開き、霊界に行っている歴史的カインを消化しなければなりません。そのようにしなければ、長子権の個人を復帰するための長子権の門を心情圏で開くことはできないというのです。
長子権の個人からすべて開いたので、世界史的な長子権を中心として出ていくとき、反対することはできないという結論が出るのです。
出監と真の父母様の勝利真のお父様は、第二百十回アメリカ独立記念日の一九八五年七月四日、ダンベリー連邦刑務所を出所され、ニューヨークの外れにあるブルックリン、ハーフウェィ・ハウスに移監されたのち、残りの刑期を終えられ、一九八五年八月二十日午前零時、完全に出監された。模範囚に選定され、刑期が五ヵ月短縮されたのである。真のお父様はダンベリーでの受難を通して、真のお母様と一体となられることにより、世界的蕩減復帰路程を勝利に導かれたのである。
8 お父様がダンベリー刑務所から出てくる時には、多くの囚人たちが歓送しようとしました。そうして私が何日の何時に出所するかを彼らがあらかじめ把握したあと、「道に出ていって見送りしよう」と言っているのを刑務所の所長が知って、大変なことになったと考えたのです。文某が出ていく時、二百人近い人々がみな出てくれば大騒ぎになりそうなので、「午前八時に出所する」と言っておいて、七時に他の所から送り出したのです。
私が出発したあとに囚人たちがそれを知り、「全く、なぜそのようなひどいことができるのか」と騒ぎ立て、抗議したというのです。通りすがりのお客さんだと思っていた一人のアジア人が、荒々しく凶悪なその社会に入って、一年間で彼らと涙の交流をしたのです。
9 私がアメリカのダンベリーにある監獄に一年一ヵ月の間いた時、ダンベリーの多くの囚人たちが私を尊敬しました。彼らは、監獄から出ることになったら、自分がもっている貴い物を私にすべて預けて出ていき、統一教会を訪ねていくと言ったのです。今でも「訪ねてきなさい」と新聞に広告を出せば、訪ねてくる人たちが多いでしょう。
彼らに、「統一教会に行きたければ、監獄で訓読会をする時に参加しなければならない」と言うと、互いに「参加する」と言ったのです。そうすると、刑務所で問題になるというのです。七人以上集まらないように制限されているので、互いに先を争って集まろうとする環境がつくられました。
そのように暮らして監獄から出る時、その人々はお父様を見て泣きました。男性の囚人たちが、お父様のことが慕わしくて涙を流すとすれば、監獄生活を正しく送りましたか、送れませんでしたか。お父様が行く所は、どこでも問題になるというのです。
10 一九八五年は、アメリカ独立二百十年目になる年です。二百十回目の独立記念日の七月四日にダンベリーから出所したというのは、新しい歴史的次元、国家的次元に飛躍できる時代に越えていくことを示しています。独立記念日に解放されたというのは、新しい出発の表示だというのです。摂理史的な意義が大きいのです。ユダヤ民族がバビロンから二百十年目に解放されて故郷に帰ってきたという事実もそうです。新しい聖殿を造り、新しい国家理念をもって出発し、新時代に越えていくことを意味するのです。
ですから、一九八五年七月四日のアメリカ独立記念日は、お父様の日だというのです。そこには、そのような意味が込められています。年代的な期間で見てもこのような意義があり、このような摂理歴史が伴っていることを考えなければなりません。
今後、一九八六年七月四日になれば、お父様のことを思う人がアメリカに徐々に増えてくるというのです。そして、「統一原理」と「統一思想」を知る人々にとって、お父様がアメリカに来て監獄で過ごし、解放された日は、一生を通じて忘れようとしても忘れられない日になるのです。既に、独立記念日と言えば、お父様が監獄から出てきた日、解放された日であることを記憶せざるを得ないというのです。
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