26 私は、先に中国の門を開き、ソ連の門を開きました。今や北朝鮮の門さえ開けばよいのです。三万双国際祝福結婚式を話題にして、私が「日成兄さん、三万双を連れて北朝鮮に入ることになりますが、休戦ラインを開く自信はありますか」と聞くと、「あるとも、あるとも!いやあ、それは素晴らしい」と言ったのです。これは歴史的な秘話です。
金日成主席が、「三万双を連れて北朝鮮に入ってきてください」と言いました。それで、「ホテルがないではないですか」と言うと、「元山の松島海水浴場は世界的に有名な所ですが、その松林に数十万人が入ることができます。だから、十人当たり一つずつテントを持ってくれば、万事解決です」と答えました。それは、もっともな話です。そこに食べ物を運べばよいというのです。「元山港を開くから、船にすべて積んで運びなさい」と言うのです。これはうそではありません。
これについて韓国政府と折り合いをつけようとしたのですが、当局の人から「大変なことになります。国の威信はどうなるのですか」と言われました。彼らは統一よりも、国の威信が先でした。そのようにブレーキをかけるので、かえって互いの威信が立たないというのです。それで仕方なく、(三万双のうち)百数双だけ訪問してきたのです。
27 金日成主席は、「本当に三万双国際祝福結婚式をするのですか」と言いながら、好奇心をもっていました。どのように三万双を結婚させるのかというのです。それで私は「三万双は何でもない」と言いました。その後、三万双の結婚式をしてから、その写真を一度見せてほしいと思っていることを私は知っているので、「今回の三万双の結婚式の写真を持っていって、金正日総書記と金日成主席に見せてあげなさい」と言って、人を遣わしました。とにかく早急に、休戦ラインを開かなければなりません。金日成主席は度量も大きいのですが、よくできた男だというのです。金日成主席を説得して休戦ラインを開かなければならないのですが、その武器とは何でしょうか。(それが)祝福結婚式だと考えたのです。
金日成主席は、私と義兄弟の契りを結びました。ですから、私が「日成兄さん!」と言いながら、三回も念を押しました。食堂から送別の広場まで手をつないで歩きながら、「兄さん、弟を無視したら駄目ですよ!」と言うと、(彼は)「ああ、私もそれぐらいの約束は守れる人間です。何を願うのか、一度言ってみてください」と言ったのです。
第四節 北朝鮮投資事業と平和公園の提案 金剛山の開発事業計画
金日成主席との会談を通して、金剛山(クムガンサン)の開発事業が合意に至った。金剛山は、韓半島で最も美しく、素晴らしい景観を誇り、世界的な名勝地として遜色のない所である。真の父母様は、このような金剛山を開発し、世界の人々が訪ねてくれば、北朝鮮の経済発展に役立ち、南北統一と世界平和にも大きく寄与すると考えられた。
1 お父様は、世界的に有名な人士たちを観光地に招請し、世界的な懸案について対話をしようと思います。金剛山をそのような場所として定めています。金剛山は、世界で最高の観光地になるでしょう。そこは途方もなく大きいのです。済州島も大きいのですが、その半分ほどの土地に鉄条網を張り、北朝鮮の人もむやみにそこに入っていけないようにしておいて、通行証を作って出入りするようにしているのです。これから私たちが金剛山に行き来するときは、ビザがなくても自由に出入りできるようにするでしょう。
そこは地上天国です。そこに民族村を造り、その民族村に入ってきて暮らす人々に管理させます。世界の有名な人々が定年になれば、そこに別荘地帯を造って素晴らしい邸宅を建て、生活できるようにするのです。そのようにすれば、自分の国の観光地はさて置いてまずそこに来るようになるでしょう。そうして、先を争って自分の地域を素晴らしく造ろうとするでしょう。そのようになれば、自分の地域は自分たちで管理するのです。ですから、保安問題は心配ありません。悪い事件も起きません。その基準に世界の各民族が合わせて調和を形成するのです。
世界の各分野の最高の人々が来て、晩餐会もし、セミナーも開き、歌も歌い、踊りも踊り、何でもすることができるのです。世界の有名人が演説をし、セミナーを開けば、先を争ってその演説会とセミナーに参加しょうとするでしょう。そのような文化活動を展開することによって皆が親しくなり、理想的な場所になるというのです。今、そのような所を造ろうとしています。お父様がそのような地上天国のモデル的な場所を造るのです。
2 世界的な事業家や経済人など、多くの人々が金剛山に行ってきたでしょう。しかし、彼らは自分の利得を越えて、金剛山全体の美化を考え、未来の理想的な観光地を目的として開発しようとはしません。地面を掘って金塊が出てくれば、自分たちが持っていこうとするというのです。
そのような面があるので、北朝鮮政府はそのような人々を信じることができず、いくら見ても私しか信じられる人はいないと考えるのです。
訪ねてきては去っていった人々の経歴や態度、利権問題を中心として私と比較してみるとき、どのように考えるでしょうか。その人々を相手に金剛山を開発すれば、すべて台無しにしてしまうと考えたのです。ですから、今まで神様の保護によって金剛山が保存されてきたと考えるのです。それは驚くべきことです。しかし、私には欲心がありません。
国家次元で入っていかなければなりません。これさえするようになれば、ロシア、中国、アジア諸国まで束ねて飛行場を造るのです。観光のためというよりも、今後、アジア諸国を連結させる飛行場が自動的に造られるというのです。中東地域でもどこからでも、観光客が飛んでくるようになっているので、飛行場を造ることによって、アジア全域、ひいてはヨーロッパ地域やアメリカまで、全世界の航空路が開発される可能性が大きいというのです。
3 金剛山を開発すれば、世界一の観光地になり得ます。もちろん、お金はいくらでも入ってくるのですが、お父様はお金もうけとして考えているのではありません。そこを、中国とロシアをはじめとするアジアを動かす場所にしなければなりません。
お父様が特権をもつようになれば、金剛山に入る人は誰でも、一週間ほど原理教育をしてから通すのです。そこは二重、三重に谷ができていて、一週間ほどでは七ヵ所くらいしか見ることができません。ですから、二週間から三週間予約をした人には、原理教育をしながらきちんとしてあげるのです。
4 今すぐ、金日成主席が「統一教会員たちだけは入ってきて、聖地巡礼ができるようにしなさい!」と言えば、どのようになるでしょうか。それが観光になるのです。
定州を中心として私は幼少期に学校に通い、また、興南監獄にも行きました。平壌の景昌里にも行っていました。そのような以前の記録を探し出してそこを観光地にし、まず統一教会員たちだけでも巡礼するようにしようというのです。そのようにしておけば、その人々が十人であれ百人であれ、連れてくるのは問題ありません。
聖地巡礼をするようになれば、韓国にもそのような所が釜山や大邱など、何ヵ所もあるので、お父様が韓半島で苦労した所を訪問できるのです。私たちは韓国で二、三番手の観光会社を運営しているので、私たちの会社のバスを利用するのです。北朝鮮に来た観光客の中で、帰らない人がいたら互いに困りますが、私が指導する人々はそのような心配がありません。そして、金剛山から妙香山(ミョヒャンサン)、白頭山(ペクトゥサン)まで観光できるようにするのです。世界の統一教会の信者たちは、自分の故国より定州をもっと愛しています。ですから、そのようにすれば、得られる利益がどれほど大きいでしょうか。北朝鮮はこのような宝物をもっているのです。
ところが、それが光復後、四十六年間、延長されてきました。南北が一つになり、観光分野から協力していれば、数千億ドルを手に入れていたでしょう。戦争によって廃墟になることはなく、それこそ福地の中の福地で、幸せな国民として暮らすことができたでしょう。このようなことを考えるとき、北朝鮮全体が動いて、私を活用しなければなりません。そのようにできることを願っています。
「平和自動車」と普通江ホテル真の父母様は、金日成主席との会談で、自動車工場の合弁投資事業にも合意された。一九九八年一月七日に出帆した「平和自動車総会社」は、統一グループの「平和自動車」が七〇パーセント、北朝鮮の機械工業専門会社である朝鮮連峰総会社が三〇パーセントを負担する合営会社であった。総面積三十三万坪の敷地に建てられた「平和自動車」は、北朝鮮の基幹産業を南北合営で設立し、南側が主導するという点で大きな意味がある。「平和自動車」はその初期に、イタリアのフィアット社の製品を組立生産した。また、平壌の繁華街にある普通江ホテルを一九九三年十一月に引き継ぎ、運営した。
5 私は北朝鮮に対して、兄の立場と父の立場ですべきことをするのです。利益は一銭も受け取りません。二〇〇二年四月六日に「平和自動車」の工場落成式をしますが、私はそこで一銭のお金も手にするつもりはありません。さらに投入しなければならないと考えています。そこに投入するとしても、私が自ら投入するのではなく、アメリカに投入させるのです。だからといって、周辺国家のロシアと中国をそこから撤退させるのではなく、アメリカを通して一緒に後援させるのです。そのようにしてこそ、ロシアと中国も生きるというのです。カインとアベルが一つにならなければ、滅びるようになっています。その原則はどこでも公式ですが、その公式によって解いていくのです。
6 現在の立場から見れば、北朝鮮は、私を抜きにしてはやってゆけません。今、「統一重工業」の技術を中心として、平和の看板を付けた自動車を造りました。北朝鮮で今「フィパラム」や「ボックギ」などの自動車を造っているのですが、平壌では、私たちの工場から出てきた自動車に乗るようになっているのです。これから三千台を造ってほしいという注文があったというのですが、三千台を造ろうとすれば、現在の施設では話になりません。
また、中国で一番良い車、一番良い機械の修理を北朝鮮でできるように準備しています。北朝鮮の産業を復興させるために自動車工場を造っておいたので、私たちの技術で自動車や船も修理してあげられるようにしようというのです。ですから、私一人で、誰もできなかったことをしたのです。
7 北朝鮮に自動車工場を造ったことや、ベトナムに自動車工場を造ったことは、冒険でした。ベトナムに自動車工場が入ることにアメリカが反対しました。しかし、ベトナムに入って開拓し、基盤を築いて、イタリアの会社と技術提携をすることになりました。そのようにして、私たちの工場が発展するので、ベトナムは「自分たちの国益に支障を来す」と言って、自分たちでイタリアと再び契約したのです。結局、私たちの自動車工場を閉鎖するように仕向けました。そのような様々な厳しい闘いをしながら造ったベトナムの自動車工場を移し、北朝鮮の「平和自動車」工場に連結させてきました。
ベトナムで自動車を造り、今まで損害ばかり出しましたが、これから赤字を克服できる基準で北朝鮮と手をつなぎ、中国まで連結させれば、相当に希望的な産業基盤の扉が開かれるのです。この基準を私が開拓したので、北朝鮮を中心として、中国まで連結させることができます。
技術を導入し、反対に流すことができます。それで今、「平和自動車」の技術を中心として、中国の安東県にある大きな自動車工場と姉妹結縁をし、技術的に助けてあげながら安い製品を造るのです。安い物をさらに安く造れる所が中国です。そこで造った物を「平和自動車」の製品として市場に出そうと思います。
8 北朝鮮で自動車工場の設立許可を受けたというのは、本当に驚くべきことです。世界の自動車産業の傾向は、どのようになるでしょうか。これから、世界的な自動車工業の主導権を握ることができる国は、アメリカではありません。アメリカは太平洋の向こうにあります。また、ヨーロッパでもありません。ヨーロッパ自体は工業技術が平準化されていて、競争が熾烈なため、そこでは経営を円滑にしていくことができません。
自動車産業が生きていくためには、他の国の基準を求めなければなりません。自分自体内で消耗(消化)できる基準ではないのです。そのように考えるとき、世界的に訪ねていくべき市場はどこでしょうか。中国があり、ロシアがあり、イスラーム圏があります。ここを販売市場にできる国が、世界の代表的な自動車会社をもつようになるというのです。
このような基準を中心として定着さえすれば、世界のすべての自動車会社の部品まで供給できるのです。北朝鮮は人件費が安いです。また中国と近いため、中国人たちをいくらでも用いることができます。国際的な技術さえもっていればよいのです。このように要件を備えて、ここで自動車工業を始めるとすれば、世界でかなう所がありません。ですから、北朝鮮に自動車工場を造ることに、世界のすべての専門家たちが焦点を合わせて注視するというのです。
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