真の父母様は、北朝鮮を離れてから四十年十一ヵ月ぶりに、北朝鮮政府の公式的な招請により、一九九一年十一月三十日、北朝鮮の地を再び踏まれた。十二月五日、定州の生家を訪問して親族にお会いになった。そして、「生家は世界の人々が巡礼する聖地になるだろう」と語られた。北朝鮮訪問は、国内外のマスコミの大きな関心の中で実現し、十二月六日、平壌のソジェゴル招待所で開かれた歓送式では、「愛は血よりも濃い」とされながら、「統一の原動力は真の愛である」と力説された。
1 私は北朝鮮を訪問し、故郷に行くのに、二機のへリコプターに分かれて乗り、二十八里を四十分で飛んでいきました。学校の運動場に降り、私の家があった所に向かったのですが、そこも車が走れるようにきちんと道が整備されていました。およそ十日間でその道を整備したというのです。自分たちの主席が来るとき以上に準備をしたのです。
私の父母の墓にも芝を植え、碑石を置いて、そこに文字を刻んで赤く塗ってあったのですが、みなよくやってくれました。また、私が暮らしていた家に行ってみると、すべてペンキが新しく塗られていました。金日成主席がそれを指示したのでしょう。
そこに土間があるのですが、その土間には石を積んでセメントを塗ってありました。庭には砂が敷いてありました。きれいに整えられていたのです。王のようなエサウが、弟を王のように迎えようとして、やったというのです。
2 金日成主席に、「私の故郷を開放しなさい」と言いました。私の故郷は、世界の人々が修練を受けながら参観できる場所になるので、差し出しなさいというのです。このような思いで押しまくりました。いくら反対しても、そこに引っ掛かるのです。天が垂らす公義の釣り針には、掛からないものがありません。私の父母の墓に台石を据え、芝を植えておいたのです。ほかの人がしたのではなく、金日成主席がそのようにしたのです。
私の故郷に行く道には二車線の自動車道が敷かれ、墓地まで行く道も、自動車が通れるように整備されていました。ですから、昔、イスラエル(民族)のヤコブを迎えたエサウより立派だというのです。なぜ立派なのでしょうか。
イスラエル民族は、第一の蘇生的イスラエルであり、キリスト教は長成的イスラエルです。アメリカは、私の故郷を聖地として開拓することは夢にも考えられませんでした。ところが、金日成主席がそのようにすることによって、第三イスラエルの民として権威を備えるようになったというのです。
3 私が金日成主席と会談した時、金日成主席が「文総裁、生家に行かれたそうですね」と尋ねるので、「行きました」と言いながら謝意を伝えると、(金日成主席は)「そこは今後、有名な場所になるでしょう。私がすべて考えて収拾します」と言いました。すると、その横にいた人々が、「はい、かしこまりました。主席様!」と言うのです。金日成主席の言葉は、神様の言葉のように実効(力)があります。
そこに私が一つ条件を付けました。「昔、私が住んでいた故郷のように造ってほしい」と言ったのです。その最初の形どおりに、ここはこのようにし、あそこはあのようにするようにと、すべて指示してきました。そのようにしておけば、世界万国に散らばっている統一教会員たちの巡礼地になり、私が昔、話したことを、生き生きと現実的な舞台で見て、感じることができるでしょう。
4 私が故郷に行った時、姻戚の八親等まですべて来ていました。私は言葉を一言も話しませんでした。皆が挨拶をしてすがりつき、放そうとしないのですが、私は共産党の世界をすべて知っているので、話をしなかったのです。
妹や姉に会うのですから、どれほどうれしいでしょうか。言葉を交わせば、その日にすべて上部に報告しなければなりません。妹の報告と姉の報告が異なれば問題になるのです。どのようにして全く同じように報告することができるでしょうか。甥も報告し、来ていた人々がみな報告書を出すので、その報告書が互いに合わなければ、大変なことになるのです。虚言になり得るというのです。
このようになれば、私が再びそこに行く道も塞がり、彼らが今後、生きる道も塞がるのです。
北朝鮮では一家族全体が報告をします。夫が報告し、妻が報告し、幼稚園児から祖父母まで、すべて報告するルートが違います。だからといって、一家族が全く同じように書いても問題です。「お前たち、口裏を合わせて書いたな!」と言われて問題になるのです。ですから、一言も語ることができません。そこは、話をすれば問題が生じるので、口があっても話ができない世界です。
5 私は、故郷の地、北朝鮮の地をすべて失ってしまいました。父母が惨事に遭ったことをすべて知りながらも、金日成主席を愛し、「私の父母を保護してくれてありがとう」と挨拶した人です。(父母の惨事を)知らない人ではありません。ですから、どれほど悲惨でしょうか。その母の墓の前に立つとき、痛哭が出てくるでしょうか、出てこないでしょうか。歯を食いしばっても涙をこらえることができないほどつらいのですが、この怨讐たちの前で私は涙を見せないようにしたのです「父母の墓参りのために来た」という言葉を残さないために、歯を食いしばって耐えたことを、私は忘れません。その問題が自動的に解決するまで、自らの精誠を尽くして南北統一を完成しようというのです。
6 私が北朝鮮の故郷の父母の墓を参拝した時、姉や妹は悲しみにあふれた心情で痛哭しました。「お母さん、お父さんが待ち望んでいたお兄さんが帰ってきました、弟が帰ってきました」と言いながら痛哭したのです。哀切なその痛哭の声を聞けば、人間なら涙を流さざるを得ません。
しかし、私はそこに文氏の息子として行ったのではありません。南北を統一できる主役として行ったのです。墓に埋められている人々の中には、悲惨な死に方をした人たちが多いのです。ですから、自分の父母の墓だけにしがみついて、かわいそうだと涙を流すことはできません。
姉と妹がそのように痛哭しているのを見ながら、「お父さん、お母さん、すみません。私は公的な人として来たので、泣くことはできません。南北統一をしてから来るときは、天下が、万国がひれ伏す中で、お父さんとお母さんが眠る場所と、お父さん、お母さんにお参りする場所を定め、孝子の責任を果たします。神様に侍り、万民の祝福を祈ってあげられる統一王国を建設してから、お父さんとお母さんにお参りします」と祈ったのです。
7 母は、私をとても愛しました。誰よりも愛したことを家族はみな知っています。自分たちを育てる中で、姉も(母が)弟をもっと愛したと思い、妹も(母が)兄をもっと愛したと思っていました。その母が、そのように愛する息子と死ぬ前に一度会いたいという恨を抱きながら悲運の道を行ったとも考えるのです。北朝鮮当局が、ありとあらゆることをしたと思います。私は、そのような北朝鮮を救ってあげるために行ったのです。
8 私の母は、本当にかわいそうです。息子、娘を十三人生み、五人を天に送って、八人の息子、娘を育てたのですが、私を一番愛し、私には何であれすべてしてくれた母でした。しかし、その母に対して、足袋の一足も、ハンカチの一枚も買ってあげたことがありません。それにもかかわらず、「私のために奉仕せよ」と言ったのです。
母に何も功がなくても、私のために尽くしてきたその功を、復帰摂理の最後の場に行ってすべて表そうと考えているので、その時までは、そのようなことをしなければなりません。実際、唖然とすることです。母が私を前にして、とてもやりきれず、鼻水や涙を流しながら声を上げて泣いていたことが、今も目に浮かびます。北朝鮮に行き、父母の墓の前に立って考えてみれば、不孝者だというのです。世の中では不孝者なのです。
9 皆さんも、お父様の故郷に行ってみたいでしょう。一九九一年にお父様が故郷に行って、失望しました。五十年前には、そこの山に木もたくさんありました。おおかみの鳴き声も聞こえたりしたのですが、今は木もありませんでした。その荒涼とした風景に失望したのです。むしろ「来なければよかった」と思いました。そのような状況を目にすると、過去の印象がすべて消えてしまうのです。
過去よりもっと素晴らしい環境を見て過去を消すのであれば、過去の記憶が簡単に消えるのですが、反対の立場で消そうとすれば、かえって昔の記憶がすべてよみがえるというのです。ですから、故郷に帰り、世界にいる統一教会の勇士たち、若い精鋭部隊を集めて、昔、お父様が目にした本当の故郷の姿を再創造しようと考えています。
金日成主席との歴史的会談一九九一年十二月六日、咸鏡南道(ハムギョンナムド)興南市の麻田(マヂョン)主席公館にて、南北の懸案などについて真の父母様は金日成主席と会談をもたれ、その場で、韓半島の非核化と南北頂上会談、離散家族再会、金剛山開発などに関して合意した。真のお父様と金日成主席のこのような南北の懸案に対する合意は、それまで滞っていた南北関係が和らぐ契機となった。また、金主席との会談では、三万双の国際祝福結婚式を北朝鮮で開催する問題が議論された。真のお父様は、怨讐としてではなく、兄弟の愛で金主席を抱き、帰還されたのである。
10 一九八七年に金日成主席がソ連のゴルバチョフと共謀して、私を暗殺するために、二十五人の赤軍派を派遣した菊村事件の裁判がまだ終わらず、進行中でした。そのような怨讐と向かい合うに当たって、離れ離れになっていた兄弟を何千年ぶりに訪ねていくという兄の心、弟の心をもって、そのような(怨讐という)考えをすべて越えられる立場にどのようにして行くかが、私の悩んだ問題でした。それさえ越えれば、いら悪党でも屈服するというのです。
自分の息子、娘よりも、自分の妻よりも、自分の弟子よりも、自分の部下よりも、さらに愛するという心が必要です。ですから、私が行って、そこで再創造役事の奇跡が起きたのです。ゴルバチョフに会ったあとに世界が変化し、金日成主席に会ったあと、南北会談が難航していたことなどのすべての問題が即刻解決しました。このような事実は、そこに天が働いていることを立証しているのです。新しい世界が創建され始めるというのです。
11 私がいる限り、韓国は滅びません。南北統一をするためには、韓国と北朝鮮だけではできません。南北はアベルとカインです。神様の側と悪魔の側です。今やカイン圏はすべてなくなりました。中国(毛沢東)やソ連(スターリン)など、共産圏はすべてなくなり、残ったのは北朝鮮の金日成主席だけです。アベルが弟で、カインは兄です。カインである金日成主席を生かしてあげなければなりません。
韓国では金日成主席を殺そうとするのですが、そのようにする必要はありません。良い車と良い飛行機に乗せて世界に連れていきながら、自分が今までしてきたことの過ちについて、悟らせてあげなければなりません。そのようにして、怨讐を愛し、韓国を愛する立場に立てて、韓国は万国の王の中の王が来られる国であり、韓民族は善なる民族の中の善なる民族であると宣布させるのです。韓国を善なる国、善なる人たちが暮らす本郷だと宣伝させるのです。
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