8 国家メシヤは、神様の代わりに投入すべき立場にいます。個人として投入するに当たって、自分の家庭でも何でも、すべて自分が責任をもった国以上に考えてはいけません。その国でお金を稼いで帰ろうとすれば、罰を受けます。帰れません。ですから、環境創造をしなければなりません。そのためには、命令をするとしても、愛を投入し、生命を投入しながら命令しなければなりません。そうすれば、サタンの血統をもったその人々が頭を下げるのです。そうすることによって、サタンの血統を根絶しなければなりません。強制的に根絶することはできません。自然屈伏させなければならないのです。再創造歴史がそうなのです。絶対的主体であられる神様が投入して忘れるところにおいて、神様の環境創造、神様の創造の偉業が成立するのと同じです。皆さんも同じです。
国家メシヤは、国家のために投入する真の父母です。ですから、そこにすべてのものを投入しなければなりません。自分のものはないというのです。自分の家や自分の土地を残しておいて、「今度、帰ったら住もう」という考えをもってはけません。帰る所がないのです。
9 国家メシヤは、その国で真の父を身代わりし、真の母を身代わりできる立場です。ですから国家メシヤの夫婦は、その国の大統領から、国家を代表した夫婦たちと縁を結ばなければなりません。その縁は、先祖から今の時代まで、また未来にまで連結されています。善なる先祖たちが多ければ、善なる先祖たちを中心として縁をもった全員が、地上と接触してくるのです。善なる先祖たちが、縁のある子孫たちを通して地上に連結されているのですが、その人々は現在、その国に責任をもった人々と比較するとき、高い位置に立った人々ではないというのです。
今まで、世界はサタン世界だったので、悪なる人々が、国を動かすに当たって先導的な立場に立っていました。しかし、善なる人はその反対の立場にいます。ですから、霊的な天使世界が先祖の善なる実績をもった子孫を訪ねてきて協助しようとするのですが、協助するその対象が高い位置の人ではなく、反対の位置の人であることがあり得るというのですそれゆえ、国家メシヤは地位の高い人ばかりを考えてはいけません。国家メシヤは、一国の大統領であれば大統領、王であれば王を身代わりした立場なので、国民全体を等しく考える心をもたなければなりません。そのようにしなければ、天の運勢全体がその国を訪ねてくるのを塞いでしまうことがあるというのです。
10 国家メシヤは、その国に宗教指導者がいれば、その宗教指導者が精誠を尽くす以上の精誠を尽くさなければならず、その国に愛国者たちがいれば、その愛国者たちに負けてはいけません。彼らよりさらに精誠を尽くす立場を取らなければならないというのです。それが国家メシヤの課題です。
神様のみ旨から見るとき、高い地位にいる人々に責任があります。ですから、重要な立場に行くほど、重要な分野、多くの分野に投入して忘れなければなりません。それゆえ、お父様の一生は辛苦の生活です。自分を中心として生きるよも辛苦の生活をするのです。つらくても、つらいとは考えません。
ですから、国家メシヤがどれほど重要な立場にいるかを知らなければなりません。お父様の代身、父母様の代身家庭として立てたので、そこに合わせて活動しなければなりません。
それゆえ、皆さんの家庭と統一教会を中心として、神様がその地に訪ねてきて活動できるようにするためには、皆さんが再創造できる主人の位置にいなければならないのです。神様の力をもらって、再創造できなければなりません。
11 国家メシヤという立場は、お父様と神様のみ前に条約を掲げて立てられた、条件的な責任です。自由な伝統に浸って生き韓国で暮らしていたその習慣性をもって、そこに立てることはできません。新しくならなければなりません。時代的な平準化基準で条件を立てなければなりません。そのような条件もすべて忘れて、昔のように自分勝手に行動していては、大きな審判が下るというのです。一族が滅ぶのです。いくつかの氏族が減べば、その国が行くべき道を行けません。国まで滅ぼしかねないことが起きます。
ですから、お父様はそれを知っているので、疑心を抱きません。一生の間、疑わずに生きるのです。私が信じ、私が約束したことは、訪ねていってでも必ず成し遂げてあげるのです。
ですから、サタンの条件から抜け出し、私を讒訴できないように、天にしかるべき条件を立てることによって自由解放の立場に立ってこそ、神様が私を守ってくださるのです。祭祀をきちんと執り行えば福を受けます。ですから、国家メシヤが条件的な責任を果たすのです。お父様の代わりに責任を背負っていったので、お父様の指示に従って、その国に福を分割してあげなければなりません。
12 国家メシヤは、自分が所属する国のどの食口たちよりも、朝早く起きなければならず、寝るときは遅く寝なければなりません。父母の立場だというのです。食口たちが服を着ることができずにいれば、自分の服を脱いで、与えなければなりません。そのようなこともせず、食口たちのことは気にも留めないで、自分に任せられた国家的な全権行使のみを行おうとしてはいけないのです。
13 国家メシヤは、心を中心として体を管理できる人にならなければなりません。経済分野で負けない経済人にならなければならず、宗教分野では、心霊世界について議論し、あらゆる信仰の伝統を議論するとき、誰も皆さんを負かすことができない、主体的存在にならなければなりません。そのようになれば、国家の大統領や国家首班が、皆さんを訪ねてこざるを得ないというのです。
14 国家メシヤは、お父様が歩んだ生涯路程をそのまま歩まなければなりません。自分の国を捨て、世界に行かなければなりません。私は「お金をあげる」とは言いませんでした。千辛万苦して稼ぎ、自立、自足しなければなりません。
国家メシヤは、氏族メシヤを配置しなければならず、家庭的メシヤをその国の一族を中心として配置しなければなりません。ですから、一族は、自動的に大移動するようになるのです。百八十家庭が連結されているので、祝福してあげれば、自分の後継者として氏族メシヤの立場に立て、その相対になる国を生かしてあげ、世界を代表するカインの国として広げておいてから、帰ってこなければなりません。ここに神様がその一族を中心として一国を設定できるのです。これは、しなければならないようになっています。
15 国家メシヤは、氏族メシヤ圏を確保しなければならず、家庭的メシヤの完成を中心として、サタン世界の家庭をこの地で整備しなければなりません。サタンの血統を断切しなければならないのです。それによって、霊界と地上が完全にひっくり返るのです。ですから、新しい本然の世界で、神様を中心として真の父母が付いていくことができ、真の父母を中心として国家メシヤが付いていくことができ、国家メシヤを中心として氏族メシヤが付いていくことができ、氏族メシヤを中心として家庭的メシヤが付いていくことができる、統一された構造的形態を形成しなければなりません。これが地上天国と天上天国の理念です。
今まで空いていた天上世界のすべてのものを、このように一度に合わせておいてこそ、神様の創造理想を完成することができるのです。アダムとエバを造られた本然の心と愛の実体圏を再び探し出し、この愛の実体を通して愛の実を収めなければなりません。そのような家庭的基準を中心として、国家形成の基準を立てることができる本然の位置に帰ってきたという条件を成立させ、神様の全体、全般、全権、全能の時代に行進するのです。その時には、何でもすることができます。そのような途方もない課題を抱えているのが国家メシヤだというのです。国家メシヤはアベル王です。その国のすべてに責任を負わなければなりません。
16 霊界の解放された国に向かわせ、国民を祝福してあげることによって天国に行けるようにするため、国家メシヤを配置しました。その国の大統領から国民の一人一人に至るまで、祝福しなければなりません。国家メシヤは、国家に送った真の父母です。真の父母は、天国に入っていける資格を賦与するのです。
17 国家メシヤ時代が過ぎれば、何の時代が来るのでしょうか。国家メシヤたちが責任を完遂すれば、地上天国時代が到来するというのです。目の前に迫ってくる途方もない時代を迎えるべき責任者たちが、勝手に行動してはいけません。その国のすべてのもの、始まりも終わりも自分を中心として、その一国の政治、経済、文化というすべての分野が影響を受け、回っていくようにしなければなりません。そのような厳しい責任を果たさなければなりません。メシヤにはそのような責任があります。
家庭的メシヤ、氏族メシヤ、国家メシヤという言葉は、過ぎ去っていく言葉ではありません。すべての動機が真の父母です。真の父母を中心としない家庭はあり得ず、兄弟はあり得ないのです。真の父母の血肉を通して生まれた子女が、真の父母を除外することはできません。ですから、真の父母がすべての出発であり、過程であり、結果です。
国家メシヤは、お父様が指示する内容に従っていかなければなりません。今まで行動してきたすべての習慣的体制、あるいは自分なりのやり方でやってはいけないというのです。今や公式的な路程に合わせて進まなければならない時代に入るので、その公式に従って動かなければならないのです。
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