真の父母様は、宗教と科学、そして、思想の統一をはじめとする世界的難題の解決のためには、神様を中心とした絶対価値観が定着しなければならないと考えられ、これを「科学の統一に関する国際会議」のテーマに掲げられた。第三回の会議からは、「科学と絶対価値」、「科学の求心性と絶対的価値」、「科学の調和と絶対価値の探求」、「変遷する世界における絶対価値の探求」、「既存価値の再評価と絶対的価値の探求」、「絶対価値の探求と学界の責任」、「絶対価値と人類平和のための模索」、「絶対価値の探求と新しい世界の創造」、「絶対価値と新しい文化革命」、「絶対価値と現代社会の再評価」、「絶対価値と科学の統一起源と人間の責任」など、「絶対価値」が会議の共通テーマとなった。
13 私たちが必要とするのは、産業革命や技術革命だけではなく、より大きな人間意識の革命です。社会問題の解決は、自然科学だけに局限されるものではありません。法規を超越しなければならず、社会科学や芸術、あるいは宗教などの領域にも影響を及ぼさなければならないのです。このような問題は、ある一国や一世代に局限されるものではなく、過去、現在、未来に影響を与える人類歴史の究極的な事柄です。このような人間意識の革命を通して、創造的で生産的な方法で、全人類の平和的共存のために、研究結果を使用するように導かなければなりません。
人間の理想は、個体目的と全体目的を完全に調和させるときにのみ、実現することができます。ほかのすべての研究分野と同じように、自然科学分野でも、一時的な個体目的は、長期間にわたって成し遂げられる全人類のための分野や、ほかの様々な分野を統合した幅広い全体目的とともに達成されなければなりません。そのようにすることによって、私たちの研究結果の真の意味を発見することができます。すべての特殊な研究分野を統合するために、私たちはより大きな設計と青写真を必要とします。それを通して、私たちが統合していこうとする共通理想が実現するようになるでしょう。
14 第四回「科学の統一に関する国際会議」の主要目的は、特殊な研究分野を統合するための青写真を作り出すことです。
人間は、その心が時間と空間に制限されない最高次元の根源に由来していることから見て、それ自身の中に生命をもっていることを知っています。このような根源は、宇宙的な心、あるいはすべての存在の第一原因と呼んでもよいでしょう。人間は、その生命を意味あるものにするために、宇宙における絶対価値の求心性を理解できなければなりません。
世界の全人類が、国家や氏族を超越した兄弟姉妹たちであり、一つの人間家族として生きていく新しい世界秩序を確立することによって、真の平和と幸福の理想世界を享有することができます。このようなことを実現するために、科学はその領域の外側から検討されなければならないのです。
15 科学(に関する)政策は、社会を全体として扱う中で決定されなければなりません。科学は、それ自体だけのためのものではなく、全人類の福祉のためのものであるという、全体目的の中心点を失ってはいけません。言い換えれば、科学の発展が人間の日常生活で意味をもつようにするために、人間は全体的な立場から価値の基準を討議し、また確立しなければならないというのです。
科学は、目に見える外的な事物に対する研究から始まります。しかし、科学は、目に見えない分野や、精神的次元の内的なものを理解するのに役立ちます。最後に、この二つの領域は統合されなければなりません。したがって、私たちは、外的な世界に置かれている中心点を捉えられなければならないのと同時に、最高次元の形而上学的世界の中心点を捉えられなければなりません。そうして、後者を不変の軸として、前者が授受作用によって永遠にその周囲を回るようになれば、時空のあらゆる存在に絶対的な意味と価値が与えられるのです。
16 皆さんが、ワシントン大会やヤンキー・スタジアム大会、汝矣島救国世界大会のようなものを見れば、「素晴らしい」と考えるのですが、それは大概、一時で過ぎていくと見るのです。しかし、世界的な大学者たちが集まって、すべての学問を超越し、一つの方向に向かうことができる伝統をつくったという事実は、地上世界で永遠にたたえられる材料として残るのです。
ですから、今後、その記録映像の一場面は、永遠に貴重な宝物として残ると考えます。そのようなものをこれから映像で見て、その伝統を考えるたびに、「レバレンド・ムーンはこれこれの思想をもって行い、その思想によってあのような反応が起こった」と言うようになるでしょう。それが世界的な動機となり、すべてがよみがえるのです。そのようになれば、この思想は結局、この教授たちによって、のちの時代を治めることができる若い青年たちの思想の中に入るようになるというのです。
17 私は宗教指導者として、また、科学者として、長い間、科学の問題や宗教と哲学の問題について関心をもってきました。ある一人の人が永遠性に関するどんな内容を追求しているとしても、またほかの人がいかなる事実を観察しているとしても、互いに異なる学術分野の間には一つの関係があると、私は信じています。実際、超越的な存在と関係なく、時間と空間の中で起きている何らかの事実を認知するというのは、不可能なことです。
宗教と哲学は、長い間、人間の良心を占領している抽象的で道徳的な問題を扱ってきました。私たちはいったいどこから来たのか、なぜ苦痛が存在するようになったのか、善悪とは何か、死後の世界は果たしてあるのか、このような疑問は、学術問題とは関係なく、すべての人がもっています。
科学は、宇宙の規則性と時間と空間における事物に対する理解に局限されています。科学は、過去数百年の間、目覚ましい発展を重ねてきました。しかし、価値観が確立されていない科学は、破壊的にならざるを得ません。核戦争(勃発)の可能性がこのことを物語っています。神学から物理学に至るまで、すべての知識は、その知識の目的と方向性を知らなければ、無意味なものであると言わざるを得ません。そして、価値基準の追求は、この目的のための追求になるのです。
18 私は「科学の統一に関する国際会議」を中心として、絶対価値を主張しています。十年、十五年、二十年、このように時間が過ぎていくほど、絶対価値に対して議論することは、「科学の統一に関する国際会議」を抜きにしてはできなくなるでしょう。ですから、第十二回大会からは、確固たる組織を編成して、新しい文化革命を起こさなければなりません。
仏教であれば仏教も、このような絶対価値を中心として、仏教事典を新たに作らなければなりません。キリスト教も、絶対価値を中心として、今までの神学体系を新たにつくって、事典を発行しなければなりません。経済分野でも、絶対価値の基盤の上に立った経済体制をつくらなければなりません。哲学もそうであり、すべての学問でそのようなビジョンを誰かが先導しなければならないのです。その誰かが、新しい文化革命の旗を掲げなければならないというのです。
このような途方もない背後を中心として、今後、韓国に希望の波が押し寄せるようになるとき、太平洋と大西洋を越えて、世界の歓呼の声を浴びながら前進できる一日が来るでしょう。それは、このような基盤を通してこそ成し遂げられると考えるので、私は迫害を受けてもそのような夢を描き、今まで歩んできたのです。
19 お父様は、「科学の統一に関する国際会議」を第十九回まで開催しました。学問は、相対的価値を認めなければなりません。その相対的価値は、単独ではつくり上げることができません。数多くのものの属性はそれぞれ違いますが、全体の中心的属性の内容とは何でしょうか。「絶対性」があるとすれば、「絶対性」だけでどのように相対を迎えるのですか。「唯一性」がなければなりません。それで、相対ができるのです。内的、外的には見えませんが、一つの核をつくり上げることによって、運動が起きます。主体と対象がなければならないのです。絶対、唯一、不変、永遠、これが四大原則になっています。変わらないからといって、それが一瞬にしてなくなってはいけません。ですから、「絶対性」は「唯一性」を備えなければなりません。絶対というのは天のことを言いますが、(それは)唯一的な存在です。「絶対」、「唯一」という言葉は、二つの存在が一つになったということです。これは、互いに内容を入れ替えることができるのです。自分のものであると同時に相手のものであり、相手のものであると同時に自分のものです。永遠に持ち続けて補充できる内容について言っているのです。
20 父母を愛の主人として決定づけてくれるのは、赤ん坊です。そして、夫を愛の主人にしてくれるのが妻です。絶対価値の決定は、相対がすることができます。神様がこのような原則を中心として創造し、宇宙が出発しました。その世界と反対の立場に立った人間が、自分を中心として出発したので、その人間がつくった世界は、「終わりの日」になれば、必然的になくならなければなりません。したがって、相対の価値を絶対視する理想だけが、新しい天地に定着できるのです。そのような理想だけが、家庭であれば家庭、愛であれば愛、平和であれば平和、すべてのものの基地にならざるを得ません。時になっていなかったので、私が「科学の統一に関する国際会議」で、そのような内容を中心とした「統一思想」の結論を下せませんでした。この世の中の教育界は、相対的価値を語るだけであって、絶対価値はありません。
21 私は「科学の統一に関する国際会議」で、絶対価値論を中心に、世界の有名な教授たちを教育しました。絶対価値の結論を出したのが、二〇〇四年です。ようやく先天時代と後天時代が転換する時になって、絶対価値を教えてあげました。父母が「愛の主人である」と言える資格は、赤ん坊が決定します。赤ん坊が、生まれるその時間に、父母を愛の主人にしてくれるというのです。また、女性と男性は、結婚して初愛を感じながら、(相手が)その愛の主人にしてくれるのです。夫を愛の主人にするのは妻であり、妻を愛の主人にするのは夫です。今までそのよな概念がありませんでしたが、絶対価値論を中心として、思想的な基調が成立したのです。
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