真の父母様は、「言論はすなわち、真理の代弁者であり、良心でなければならない」と語られ、正統正論紙として「世界日報」が進むべき方向性を提示された。特に、世界が価値観の没落によって混乱している状況で、社会を指導する教育の責任を担わなければならないことを強調された。また、姉妹メディアである「ワシントン・タイムズ」「UPI通信社」などとの交流を通して、同際的ネットワークを強化しなければならないと語られた。
11 「世界日報」の「世」の字は、この世の中のことです。「日報」の「日」の字は、日にちの「日」です。ですから「世界日報」は、世界の日を報告するのです。どのような日かと言えば、悪い日ではなく良い日です。それでは、大韓民国にとって良い日とは何でしょうか。「世界日報」は、良いことをたたえ、悪いことはたたかなければなりません。それが正道です。責任をもつ言論人にならなければなりません。その信念に自分の命を懸けて責任をもたなければならないのです。
12 皆さんは国民の前に、新聞記者としての実績を残さなければなりません。その実績とは何でしょうか。皆さんの息子、娘に、「私は正義の道を歩んだ」と言って立て札を書いてあげ、遺言を残すことができる自信をもった新聞記者が何人いるかというのです。深刻な問題です。これが現実的な問題です。知識で世界を動かすのではありません。お金で世界を動かすのではありません。権力で世界を動かすのではありません。真をもって世界を動かすのです。真によって動かすのです。結局、「世界日報」は、正義の日々をいかに立てるかという闘いをするのです。
13 「世界日報」は、全世界の最も良いものを記録して、社会に指標を立てなければなりません。そのような立場で国を批評し、アジアを批評し、世界を批評しなければなりません。「これがキーポイントである」と自分が確定して発表したものが神様の絶対的な目から見るとき、何パーセント合っているでしょうか。新聞記者として記事はうまく書いても、それが神様の目から見るとき、何パーセント合うかというのです。問題はそこにあります。良心を欺いてはならないというのです。
14 言論機関は、社会教育の標準を立ててあげなければなりません。言論が世界を滅ぼしています。大学の御用学者のようになってはいけません。大学の二世たちを自分以上に貴く育て上げる責任を果たさなければなりません。教育を受けた大学出身者たちが社会に出ると、腐敗してしまいます。誰がそのようにしたのでしょうか。言論人たちの責任が大きいというのです。
言論人たちは、現実的生活の利益を追求することをより考えるのであって、公的なことや民族の将来は考えないというのです。ですから、責任言論、信義言論を主張しながら進めています。このようにして社会教育をするのです。
15 「世界日報」は、「セゲ(世界)イルボ」というからには、正義に立脚して「強烈に(セゲ)」進まなければなりません。どれほど強烈に進むのでしょうか。私よりも、さらに強烈に進まなければなりません。息子、娘、子孫が自分の先祖よりもさらに立派であってこそ、今後その家も、会社も、国も、滅びずに栄えるのです。私よりさらにがむしゃらに、さらに強烈に進みなさいというのです。瞬間を中心として闘う時は、生命を懸けるだけではいけません。「お父様が生命を懸けたならば、私は愛も懸け、生命も懸け、知識も懸け、お金も懸け、権力も懸け、お父様以上にもっと強烈に進もう!」と言って内外に一つになれば、世界が統一世界へと進む、新しい扉が開かれるでしょう。
16 これから「統一思想研究院」を、「世界日報」の研究機関として位置づけなければなりません。そして、今後、編集局長と論説委員と主筆、編集局の部長以上の人々は、幹部として、もちろん文章を書くことも必要ですが、思想的な面やあらゆる面で、堂々とした理論をもって、国家指導者たちを教導できる責任者にならなければなりません。
今まで私がしてきたすべてのこと、「科学の統一に関する国際会議」や「世界言論人会議」のようなものは、再教育することを標準にして全般的に準備してきたので、今や、この頂上の基準を韓国の言論界に結んでおかなければなりません。教育というものは、一定の教科書によって、国家の施政方針、すなわち教育部が定める法規内で動きますが、言論界はそうではないというのです。ですから、この言論界を中心として、新しい教育の方向を強化するためには、思想的な面を重要視しなければなりません。しかも、北朝鮮と対峙している立場なので、思想的な面に関心をもたなければならないのです。
17 私たちの新聞社には、モニター要員が必要です。五年から十年後に新聞社を動かすことのできる人を、誰がたくさん育てるかが問題です。ですから、モニター要員制度を活性化させなければなりません。これから、「新聞記者は学校の先生よりも高い位置に上がる!」という思想を入れるのです。そのような点で、私たちは道義教育と社会浄化、人倫や道徳の問題を扱う新聞を作らなければなりません。
18 「ワシントン・タイムズ」では千人以上が働いています。白髪交じりで額がはげ上がり、目の青い人々が、私を心から尊敬しています。
「世界日報」を、その「ワシントン・タイムズ」と連結させてあげようと考えています。「ワシントン・タイムズ」の人を、「世界日報」にいる人といつでも交換できるようにしなければなりません。「世界日報」の記者たちが特派員として仕事をしていては、役に立たないと考えるのです。交換要員として行って特派員ができるようにしてこそ、どこに行っても「ワシントン・タイムズ」新聞社を活用できるのであって、付いて回りながら、自分の仕事が生じたときだけ働いていてはいけません。みな一緒に交流できる体制をつくって、日本の「世界日報」や「ミドルイースト・タイムズ」も、この基準で編成しなければなりません。
一人か二人を抜いて、人が足りなくなれば、何人かで手伝いながら編集をしてでも、外国に行ってくることができるように編制してみなさいというのです。「百聞は一見にしかず」なので、様々な場所を通して交流できる道を用意しなさいというのです。そうして、一つの家庭のようにしながら、新聞社の徹底した方向を中心として、今後、希望的な「世界日報」にならなければなりません。
19 皆さんが記事を書くときには、自分の名前をかけて、責任をもって書かなければなりません。私がアメリカで「ワシントン・タイムズ」を造って出発するとき、「『ワシントン・ポスト』や『ニューヨーク・タイムズ』を踏襲してはいけない」と言いました。それは宣言です。私たちは独自的です。独自的な標準を私が立てたのです。
日本の「世界日報」も、今や基準に達しました。部数を増やしてはいけないというのです。配達の部数を少なくして、新聞社に来て新聞を持っていくようにするのです。今や、分かる人たちは分かってくれるようになりました。政府でも分かってくれるのです。なぜでしょうか。時事分野では、世界情勢について誰も付いてくることはできません。情報において、私たちが世界の先頭に立ったからです。アメリカのような国は、新聞が進歩的です。ソ連の間接的な宣伝紙のようになっています。すべて敗北的で、退廃主義的な思想を鼓吹(こすい:励ますこと)する刺激的な論説を書いています。しかし、私たちは違います。ですから、目を皿にして勉強しなさいというのです。
20 「世界日報」を世界的なモデルケースとして、これから「ワシントン・タイムズ」のように、世界と通じるアジアの代表言論機関にしようと考えています。そうするためには、ワシントンDCで作った六十ページの「ワシントン・タイムズ」の記事すべてが、ここの「世界日報」に入ってくるようにしなければなりません。このようにするためには、世界のニュース紙面を今より倍に増やさなければなりません。
「ワシントン・タイムズ」に文化部や宗教部、家庭部があれば、そこから出てくる記事の内容を、ここで翻訳できる実力がなければなりません。英語版「ワシントン・タイムズ」の記事内容を読んで、すぐに韓国語に翻訳して、韓国の実情とアメリカの実情を混合させ、新しい新聞を作るのです。
21 AP通屠やUPI通信から、今まで特派員を派遣した場所は、世界各国で百ヵ所を超えません。しかし、私たちは、百八十ヵ所からあらゆる写真や専門的な記事の内容が送られてくるので、一国の記事をただそのまま韓国に紹介することができ、各国のものをいくつでも新聞に出すことができるのです。このように増やしたり減らしたりしながら、何ヵ国かの記事を用いて一気に作るようになれば、いくらでもこの新聞を見るようになっているのであって、ほかの新聞を見るようにはなっていません。部数のために、ほかの新聞に追従しながら作ってはいけないというのです。
22 世界が価値観の没落によって混乱状態に陥っているので、誰かが旗手にならなければなりません。それが必要な時です。共産主義世界が崩れ、民主主義世界が崩れるこの時に、誰が旗手になるのでしょうか。私たちしか、お父様しかいないではないかというのです。
今からは、自主的な時代となり、自主性を確立させなければならない責任があります。そのようなことを教育していかなければなりません。徹底的に教育しなさいというのです。もはや、私たちが追従していく必要はありません。「ワシンン・タイムズ」もそのようにしたので、非常に短期間のうちに、世界的基準をつかんで上がってきたのです。追いかけていってはいけないというのです。私たちは私たちの論調を中心として、堂々と進まなければなりません。
23 「世界日報」は、韓国にある十大新聞社を絶対に追いかけてはいけないというのです。私が「ワシントン・タイムズ」を造るときに訓示したことも、絶対に既成の新聞を追いかけてはいけないということでした。新聞は、国家的基盤における公認された立場で、国家や主権に影響を及ぼすことができます。そのような状況で新しく出てきた新聞が、既成の新聞を追いかけては、いくら(世の中の)空気を変える記事を書いても、関心を集めることはできないのです。
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