11 今、世の中は、父母が子女を信じることができず、子女が父母を信じることができません。妻を信じることができず、夫を信じることができず、兄弟を信じることができず、祖父母を信じることができません。不信の風潮の世の中です。これは、悪魔が地上地獄を膨張させたものであることを知らなければなりません。
誰が家庭を救ってあげるのかというのです。救う人は、真の父母以外にはいません。真の父母の家庭編成理念は、天の国の秘密食庫に入っている教科書です。エイズは、私たちの手によって、大韓民国でブレーキをかけて追放しなければなりません。アメリカの風潮に付いていってはいけないというのです。
12 純潔大学を造らなければなりません。単科大学を造るつもりです。男性と女性の純潔大学にならなければなりません。純潔大学の出発とともに各学科をつくっておき、男性たちまで編入させるのです。これから、世界的な名門校になります。大臣や学者など、国の有名な人々はみな、純潔大学を卒業した女性を嫁に迎えようとし、男性を婿に迎えようとするでしょう。
13 絶対「性」を守れなくなれば脱落します。そのことゆえに人間が堕落し、神様が今まで苦労しているのです。神様の胸に大きな釘を打ち込んだのは何でしょうか。アダムの生殖器とエバの生殖器です。二人が誤ったために、天下がすべて崩れたのです。天下を造っておいたのですが、それゆえにすべて崩れたというのです。
それをよみがえらせなければならない責任があります。ですから、アダムとエバが堕落する時に神様が深刻だった以上に、皆さんは性の問題を中心として、(絶対「性」を)絶対視しなければなりません。そのため、鮮文大学に純潔学科をつくったのです。
14 二〇〇四年一月二十八日、午前十一時五分を中心として、清心神学大学院大学を奉献するこの記念の時間を迎えています。この日を期して、天がこの場所とこの環境とこの全体を引き受けて主人となられ、万世に誇り得る教育の殿堂となるようにお許しくださることを、お願い申し上げます。
韓国において、鮮文大学と同じように、ここの神学大学院を中心として、今後、超宗教超国家として、新しい神様の理想的世界において、天を知り、地を知り、人間を知り、天のみ前に主人がいらっしゃることを知って、その主人を万世の理想的創造主として、真の父母として、真の師として、侍ることのできる人材をこの殿堂で教育することを願いますので、お父様が引き受けてくださり、一切の奉献された事実を快くお受けください。ここに所属する一切の機関ごとに、そして、師と教え子が一つになって、「清心」というこの文字に恥じることがなく、燦々(さんさん)と朝の太陽の光を浴びるように、喜びの中ですべての思いが一つになり、天の本然の垂直的な中心を備えて、体と心が一体になった世界の主人と、横的な実体と一つになるようにしてください。
15 清心神学大学院大学は、超宗教の神学大学院です。有名な博士たちを連れてきて、自分が所属した教団の教理を紹介し、統一教会と比較させるのです。統一教会に所属した博士が批判したものや、自分たちが批判したものが同じようになるときには、超宗教全体の立場から、一つの道を探し出して教えてあげなければなりません。それは、天地が願う宿命的な課題です。
16 アメリカの統一神学大学院は、超宗教の神学大学院です。超宗教です。ここには仏教徒も入ることができ、儒教やイスラーム、キリスト教を信じる人もみな、入ることができます。ここを卒業した人は、超宗教的に、どこにでも行って、牧師や指導者として活動できるのです。そのような神学大学院になります。清平には、清心神学大学院大学を造りました。清心神学大学院大学はアベルであり、アメリカの統一神学大学院はカインなので、一つにならなければなりません。
統一神学大学院、ブリッジポート大学と世界大学連盟真の父母様は、一九七四年四月三十日、アメリカ、ニューヨークのハドソン川の川辺、ベリータウンにある敷地七万坪(五十八エーカー)のカトリック神学校を引き継ぎ、一九七五年十月二十日にアメリカの統一神学大学院として開校された。そして、一九八六年十一月二十一日に認可を受け、神学科と神学教育科の修士号課程を新設し、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教などから教授たちを招聘して、超教派大学院として運営された。続いて、一九九二年四月十五日にブリッジポート大学を引き継がれた。アメリカのコネティカット州、ロングアイランド海峡沿いに位置するブリッジポート大学は、一九二七年に設立された由緒ある大学である。真の父母様は、世界の大学が国家や理念、宗教の壁を飛び越え、人類が追求する共同価値の実現に当たって先頭に立たなければならないと考えられ、一九九六年一月、ウルグアイのモンテビデオで世界大学連盟の結成を宣言された。そして、国際的な人材を養成し、国連を通して世界の指導者クラスの人脈ネットワークを構築するため、国連大学の設立を提唱された。また、「これからは、学校という空間より、誰もがそれぞれの場所で教育を受けられる映像通信教育時代に入るようになる」と語られた。
17 私がベリータウンに神学校を造ったのは、統一教会に神学が必要だからではなく、キリスト教のためです。ですから、ユダヤ教の教授、カトリックの教授、長老派教会の教授などを連れてきて優待するのです。それゆえ、不思議だというのです。統一教会の「原理」を教えず、干渉もしないで、自分たちの好きなように教えるようにしているというのです。
18 統一神学大学院がアメリカで有名になっています。アメリカの神学界で問題の神学校として注視しているのです。施設や学究的な実力では、どの大学院にも劣らない水準に上がりましたが、政府が政治的な背景を中心としてブレーキをかけています。しかし、アメリカの神学者たちが関与しているので、政府も仕方なく認可を出さざるを得ない段階に来ています。
19 ベリータウンの神学大学院に対し、一九八六年十一月二十一日に設立認可が下りました。統一神学大学院です。そのために十一年間闘いました。ニューヨーク州の教育委員会を相手に、行政訴訟を起こしたのです。学校設立の規定に従って、施設から教授と学生たちまで、すべてのものを備えたのに、なぜ認可してくれないのかというのです。アメリカでは、そのようなことはあり得ません。
訴訟を起こし、私たちが一審で勝ちました。向こうの控訴で二審に進んだのですが、二審でも勝ったというのです。三審まで進みました。ニューヨーク州の立場からすると、三審でも負ければ国の面子が立たないので、そこで棄却したのです。「ニューヨーク州の教育委員会と統一神学大学院が話し合って、良い方向に向けて解決しなさい」と言って棄却してしまったのです。それが棄却されてから四年目に認可が下りました。
20 お父様が神学校を建てたのは、アメリカを救うためです。企業体を発展させるために建てたのではありません。現在の神学校は、アメリカを救う能力がありません。今後は、私たちの神学校の出身者たちが、この国に影響を及ぼすでしょう。大学教育もそうです。現在教育しているものでは、アメリカの進路を変えることができません。再教育ができるのは、私たちしかいません。キリスト教自体が、神様のみ旨を知らないのです。それを知っている人は私たちしかいないので、私たちが新たに教育しなければなりません。
今までお父様がこの神学校の設立を急いだのは、アメリカを再教育するためです。キリスト教を新たなものにして、新しいアメリカ、新しい自由世界をつくるのです。
21 私は、ブリッジポート大学を引き継ぎました。アメリカで外国人として総合大学を引き継いだ人は、私しかいません。初めてです。これは記録です。ですから、四方からどれほど反対を受けたか分かりません。あらゆる大学で、「今、レバレンド・ムーンがアメリカの教育分野を占領するのは、未来のアメリカを滅ぼすためだ」と言って、ありとあらゆるうわさが立ちました。
「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」などの新聞も、あらを探して非難しました。私はアメリカに来て、悪いことは一つもしていません。夜も昼も、堂々としているというのです。堂々とした男として生きてきました。
22 お父様が生きていく生活の天理、鉄則があります。私は、天の福があれば、福のパイプをつなげてあげようとするので、お父様が苦労した所に祝福があるのです。ブリッジポート大学はコネティカット州にあります。私が入って苦労した刑務所がある州です。そこが祝福を受けたというのです。
ブリッジポート大学を私が引き継かなければその州は不渡りを出すようになっていました。私が困難な学校を引き継ぎ、今や誇らしい都市になりました。注目の対象になったというのです。その周辺の州の中で、注目の都市になりました。アメリカに対しても、私は「うまくいくように」と祈るのであって、「滅びよ」とは祈りませんでした。苦労した所です。私が手を放して去ったとしても、アメリカは滅びないというのです。
23 学問とは、国境を超越しなければならず、歴史まで超越しなければなりません。そのような観点から、全世界の学者たちが一堂に会して教育をするのですが、民族の限界線に支配される教育制度を私たちは克服しよう、越えていこうというのです。アメリカであればアメリカのための教育制度、イギリスであればイギリスのための教育制度ではなく、それを超越して、私たちが新たに構想する一つの世界、平和の世界を建設できる教育制度を整えなければなりません。
このような目標を立てておき、そこにふさわしい教育施設を備えなければ、完全な教育をすることができないので、そこにふさわしい大学を造ろうと考えています。それで、国際大学理事連盟をつくろうとしているのです。
24 今後は、誰でも統一教会の責任者になれるのではありません。責任者になろうとすれば、世界が共通に公認する試験過程を経なければなりません。「韓国の郡の責任者だ」と言えば、アメリカにも郡があるので、その責任者と釣り合う資格を与えるのです。そうすれば、どこに行っても、「あなたは何の責任者ですか」と聞かれるとき、「郡の責任者です」と言えば、どのレベルかが分かるようになります。言い換えれば、「小学校の教師だ」と言えば、どこに行ってもすべて通じるのと同じです。そのように制度化しなければなりません。
それで、私がアメリカに行って急いだのが、教育の制度化です。それは、人の数で制度化するのではなく、教育の基盤の上でしなければなりません。ベリータウンで急いだことがそれです。今や、本格的な教育の段階に入るのです。
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