12 第二次世界大戦直後、キリスト教文化圏を中心として登場し、七年以内に世界を統治できる基盤を失ってしまいましたが、私はこれを自力で復帰しました。ソ連とアメリカが私を歓迎して支持する段階に入ってきたというのです。第二次(世界)大戦直後に失ってしまった神側のオリーブ畑であるキリスト教文化圏を、初めて父母様を中心とした統一教会の基盤を通して神側に復帰したので、ここに接ぎ木(の役事)さえすれば、全世界は復活するのです。
それで、一九九二年から祝福を公開するのです。それが「世界文化体育大典」です。四十日修練を受け、真の父母を認め、神様を絶対に信じ、真の父母に従って永遠なる神様の愛と生命と血統の新しい種を授かるという誓約をして進み出れば、天に帰っていけるのです。
13 摂理の一環として始まった「ハンマダン体育大会」は、神様を中心とした新しい青年文化創建運動として、天の側に立った心が悪魔側の体を治める統一的心情圏を回復し、ばらばらになった世界を一つに統一して、神様の恨を解いてさしあげる若者たちの広場にならなければなりません。皆さんは未来の主人公として、ひいては天の王族として、強く雄々しくなければなりません。暗闇を退け、悪を審判する正義の旗手にならなければなりません。
大学原理研究会が中心になり、世界的に蔓延している淫乱と暴力の波を清算し、新しく神聖な善の革命を成し遂げなければならないのです。神様を中心とした世界の青少年たちが中心となり、本然の子女、兄弟、夫婦、父母の心情圏を回復し、過去の王、現在の王、未来の王として、三大王権を復帰した真の天の王族になって、永遠なる生命の道を行かなければなりません。
14 統一教会が主張することは、政治世界でも問題を起こし、宗教世界でも問題になっています。ですから、いつでも先頭に立たなければなりません。政治圏でもカインとアベルが一つになり、宗教圏でもカインとアベルが一つにならなければなりません。そうして、ここで一つになったすべてが、歴史的ないかなる勢力圏よりも強くなければならないのです。このすべてのものを、個人では束ねることができません。家庭で束ねなければなりません。このような面において設けたのが、第一回「世界文化体育大典」です。
そこには、二世たちとすべての分野の世界最高の指導者たちが来るのです。彼らと二世たちは、縦的な面から見れば、カインとアベルです。世界のすべての指導者たちが、カインの立場だというのです。長子権復帰をするために、次子と長子をひっくり返すのが(今回の)祝福行事です。一九九二年八月二十五日の祝福式をする前日にすべての人の前で真の父母とメシヤ宣布を行いました。大韓民国と日本、アメリカで宣布をしたのです。ですから、真の父母を中心としてカインとアベルが一つになり、宗教圏と政治圏が一つになるのです。文化圏全体が一つになります。世界は混乱していますが、統一教会の新しい統一文化圏は、今まで世界に向かって、個人から世界が行くことのできる道をつかんできています。
15 今後、世界に残された最も恐ろしい戦争は、人種の戦争です。皆さんは「イエローパワー」というものを知っていますか。これは、真の父母が現れてアジアを動かし、人種の戦争を防止しようということです。世界を救わなければなりません。そのようにしなければ、平和の世界を探し出すことはできません。ですから、世界平和を強調するのです。それが神様の目的です。このすべてのものを中心として、「世界文化体育大典」をするのです。
この大典は、オリンピック大会を凌駕しなければなりません。なぜなら、オリンピックは体を中心とした大会だからです。神様がいません。しかし、「世界文化体育大典」は、世界に文化を植えるのです。すべての文化の中心が宗教なので、宗教を中心として行うのです。宗教を中心として精神を強くし、体を率いていくことができてこそ、正常な人間に戻ります。そのようになれば、新しい文化が創造されるのです。それを真の父母が行うのです。
16 主要記念日には、世界的に有名な芸能団体を呼んで、大会を行わなければなりません。祝賀式自体が、世界的な芸能団体の競演大会になるのです。そのように競演大会をして、一等を選ばなければなりません。学術分野から始まり、各分野のトップを選ぶのです。世界のトップたちを参加させて表彰するのです。そのようにすれば、世界の関心を集めざるを得ません。それが、「世界文化体育大典」です。文化オリンピックだというのです。一週間、各分野で競演するのです。ですから、世界が注視できるように、最高クラスの人々を立てて表彰しなければなりません。
17 「世界文化体育大典」は、文化オリンピックです。オリンピックですが、スポーツだけを競うのではありません。学術分野であれば学術世界のオリンピックチャンピオン、物理学であれば物理学世界のオリンピックチャンピオン、文学であれば文学世界のオリンピックチャンピオン、数百種類の種目を中心として、選出していかなければなりません。お父様は、オリンピック大会やサッカー大会に関心をもち、また芸術世界にも関心をもっています。今やみな、頂上の位置に上がりました。この「世界文化体育大典」を宗教者オリンピック大会にしようと考えています。
第二節 サッカーチームの創団と運営 一和天馬サッカーチーム創団
真の父母様は、一九八九年三月十八日、サツカーを通した世界平和の実現を旗印に、一和天馬サッカーチームを創団された。一和天馬サッカーチームは、一九九三年から九五年まで、韓国プロサッカー大会で三連覇を記録し、九五年にはアジアクラブ選手権優勝、九六年には、アジアスーパーカップとアフロアジアクラブ選手権のチャンピオン大会で優勝することにより、アジアサッカー連盟から、九五年と九六年のアジア最高クラブ賞を受賞した。また、一九九〇年代の三連覇に続いて、二〇〇一年から〇三年まで、再びKリーグで三連覇を果たすことにより、サッカーの名門チームとして定着した。
1 私たちのサッカーチームの名前は一和です。なぜ「一和」としたのでしょうか。その名前が良かったので、私がサッカーチームの名称にしました。一和とは、一つに和する、統一されるという言葉です。化学の「化」の字は、その本質が変わます。材木が燃えてほかの物(灰)になるとき「化学作用」と言います。一和の「和」の字は、本質が変わりません。千万種類の素性と個性がありますが、和合するのです。
2 一和天馬チームをつくったのは、良いことでしたか、良くないことでしたか。宗教指導者がほかのことに手を出したのです。私と何の関係がありますか。韓国民族の気概を高めるためには、仕方がありませんでした。世界にそのような力を誇り得るモデルとして、先頭に立たなければなりません。サッカーはそのような面で代表的な種目です。
もしサッカーチームをつくらなかったならば、韓国サッカーは見る影もなくなっていたでしょう。サッカーチームをつくり、韓国で三年連続優勝し、その次にはアジアチャンピオン、アジア・アフリカチャンピオンになって、有名になったのです。南米に行ってブラジルチームともゲームをし、アルゼンチンチームともゲームをするのです。
3 若い人々は、未来の世界に向かって前進していくべきなのですが、どのように刺激して気迫をもたせてあげるかが問題です。このような意味で、体育が必要なのです。体育というのは、一気に気迫を創出する偉大な力をもっています。それで、このことを考えながら体育に関心をもったのです。昔からそうでした。
スポーツ選手たちが、ほかの人より少し勝って、すべての競争者を押さえて勝利した時に感じるその気迫、気分というのは、経験してみなければ、いくら説明しても分かりません。ですから、体育はそのような面で必ず効果があるというのです。それで、スポーツを奨励するのです。文化オリンピック大会や宗教団体を中心とした体育大会のようなものを、お父様は今までリードしてきました。それでは、なぜサッカーに関心をもつのでしょうか。サッカーには、複雑で多様な妙技があるからです。
4 若い女性たちもサッカーについて知り始めれば、とても味をもつようになります。イギリスやイタリア、ドイツのような国のサッカー場に行ってみれば、本当に素晴らしいのです。サッカーは国民の熱気を刺激します。そのような運動は生きているので、若い人々を連合して衝撃的な爆発を起こすことができます。それがサッカーだというのです。そのような意味で、サッカーに関心をもつのです。
ここに一年でどれほど多くのお金がかかるか分かりません。たとえお金がかかっても、これは私たちが社会に向き合うときの足場になります。今までは、宗教が社会とは隔離されていました。社会から逃避してきたのですが、私たちは社会に向き合うのです。宗教が体育を中心として、特にこのサッカーを中心として社会に向き合おうというのです。
5 気持ちを奮い立たせるにはスポーツがいいのです。ワールドカップサッカー大会のようなものがそうです。一つのゴールが決まるのを見て、十万の観衆が熱狂するのです。それを考えてみてください。バレエや舞踊のようなものも同じです。感動するので「拍手をするな」と言っても拍手をするのです。誰かが「拍手をしなさい」と言うのでしょうか。心から湧き出て、自らするのです。
「ゲームをしているのはどこのチームだ」と言うとき、「統一教会のチームだ」と言えば、統一教会のことを考えます。また、「そのチームは誰が率いるのか」と言うとき、お父様がするといえば、統一教会のことを好きになるでしょう。
そのようにして、世界を巡回しながら、いつでもサッカーのゲームをするのです。春夏秋冬、同じサッカーをしても、季節によって気分が違います。このように、一つの目的の世界へと大衆を動かし、率いていくことができる気分をいつでも創出できるのが体育であり、芸術だと考えるのです。
6 私たちは、サッカーでお金を稼ごうというのではありません。そのお金で、サッカー界の教育機関をつくらなければならないのです。芸術団体の教育機関、その次に、スポーツ界の教育機関をつくって、徹底した思想を入れなければなりません。道義的な面で基盤を築かなければならないのです。
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