6 サタンの所有と神様の所有が混ざっているので、それを分けなければなりません。完全否定をしなければならないのです。自分が世の中で生きていた習慣、あるいは伝統に浸るようになれば、それが壁となり、塞がってしまうというのです。ですから、完全に清算しなければなりません。それゆえ、お父様が歴史を代表して、総生畜献納をするのです。そして、分けた世界を一つにして、神様のみ前に捧げようというのです。個人で束ね、家庭、氏族、民族、国家、世界、天地を束ねるのです。
7 総生畜献納祭の祭物は、所有権を分別する条件として立てるものです。何であれ、神様の所有になる前は、「自分のものだ」と主張してはいけません。エデンの園で、サタンが神様のものを盗んでいきました。そのように盗んでいったものを、一日も早く神様の側に返さなければならないのです。そのように返せば、神様はすべてのことを赦し、それを倉庫に入れるでしょう。
お父様も一生の間、自分のものがありませんでした。天の国の民がどれくらいになるかによって、お父様の所有権が決定されるのです。その前に所有権をもてば、違法者です。
8 統一教会の年を取った人々は、自分の子女にお金を譲り渡さず、国に寄付して逝かなければなりません。それが総生畜献納物です。教会の名前にしておいて、その教会に行って、暮らしなさいというのです。そうすれば、天の教会にある財産で暮らしたことになります。個人財産時代は過ぎ去り、共同財産時代に入ります。いずれは、相続税がなくなります。相続税否定時代に越えていくのです。
天は、世の中の人が国に納めず、大衆から集めておいたお金を、一銭も彼らの子孫に渡してはいけないと言われるのです。公的財産にしなければなりません。個人の財産は教会に行き、教会の財産は国の財産に上がっていくのです。その次には、天一国を通して、天の国に行くのです。
9 万物時代の旧約時代、子女時代の新約時代、父母時代の成約時代、三つの祭物を中心として、自分の家庭と息子、娘と、万物と共に、この世界を神様のみ前にお捧げしなければなりません。それが総生畜献納物です。世界的に家庭が糾合して、万物と子女、自分の家庭を天のみ前に捧げるのです。そして、神様の真の愛と、真の生命と、真の血統だけがすべてなので、神様と真の父母の愛のほかには、何も考えてはいけません。そこから宇宙が生じたので、総整理して束ね、捧げなければならないのです。真の父母を中心として、天の所有権として決定しておかなければなりません。天のみ前に捧げたすべての聖物は、神様が愛する家庭の所有として、再び受け継がなければなりません。そこから、私たちの所有権をもつことができるようになり、天国が始まるのです。
10 神様は、息子、娘のために宴の準備をして待っています。すべての人にみな分け与えることが幸福だというのです。このように、父母はすべて与えても、また与えたいという思いがあるので、霊界はいつでもそれを補充できる道があるのです。同じように、自分がすべて与えて喜び、さらに与えたいと思えば、その人は永遠なる世界の無限の福を受け、無限に与えて余りある世界が訪ねてくるというのです。お父様は働きながら、財布にお金があるとしても、私が何かを買って食ベ、息子、娘に良いものを買ってあげようという考えはもちません。み旨のために使います。お金があれば、「み旨のために使おう」と考えるのです。自分のためにそのお金を使えば、お金が泣くというのです。そのお金を自分のポケットに入れて、使ってみてください。自分の肉をそぎ、骨を削ってしまいます。それが恐ろしいのです。公金略取というのは大きな問題になるのです。総生畜献納をするのもそうです。自分たちがすべて投入し、忘れてしまわなければなりません。自分の所有権をもって誇る人が、世の中で最も愚かな人です。
11 所有は、神様の愛による血統を通して、神様の愛を受けることができ、神様の代わりに愛することのできる立場に立って、初めて決定されます。そのようになってこそ、相続権が与えられるのです。そのようにしなければ、相続を認めてくれません。社会主義社会や共産主義社会は、個人の財産を認めません。そのように国家財産をつくって、今後、主が来れば、主のみ前に、そして、神様のみ前に世界を根こそぎ、丸ごと捧げさせ、その次に再分配するのです。その時になってこそ、皆さんの所有時代に入ります。このような原理を、財閥に教えてあげなければなりません。今後、統一教会の時代になれば、世界の財閥に会って、私の講義を三、四時間、聞かせるのです。そして、「皆さんの財産は皆さんのものですか、神様のものですか」と尋ねれば、「神様のものです」と答えられるようにしなければなりません。そして、「だとすれば、神様にすべてお返ししますか、お返ししませんか」と尋ねるのです。もし返さなければ、雷が落ちるというのです。ですから、一朝一夕で世界が一ヵ所に集まってきます。
それまでは、良く暮らしなさいと、ひもを緩めてあげるのです。ひもをつるべの綱のように垂らして、風が吹くままにぶらぶらと動き回るようにしておくのですが、私が握っているのです。そこに食べる物があり、拾って食べては喜んでいますが、あとで手繰り寄せるときには、みな主人を訪ねてくるというのです。世界は一ヵ所に集まるようになっています。
12 父母様が今まで犠牲になったのは、神様に侍るためでした。これが伝統的な歴史です。ですから、自分の物質は旧約時代であり、息子、娘は新約時代です。それゆえ、犠牲にならなければなりません。夫婦も犠牲にならなければなりません。その過程を経てこそ、神様に侍ることができるのです。蘇生、長成、完成を越えて、愛の理想圏に一体化し、天上と地上の一体化圏を備えなければ、完成にならないのです。責任分担を果たさなければなりません。結論は、原理が教えてれた基準のとおりです。
私は世界の人々に、すべて分けてあげました。私の名義になっているものは一つもありません。所有権がないのです。神様に、所有権がないからです。今、サタンがもっているものをすべて神様のみ前に捧げ、神様は今まで受け取ったその財物を再分配してこそ、地上天国が顕現するのです。
13 今や、時になったので、主人を決定しなければなりません。自分が手にした物の主人になろうとすれば、自分の物をすべて天のみ前に捧げ、再び分配を受けなければなりません。自分の所有権を維持していては、祝福を受けられる立場に立てないというのです。アダムとエバが堕落せずに祝福を受けたのち、所有が決定されるようになっているのであって、所有権を与えられてから祝福を受けるのではありません。祝福を受けたのちに、自分の息子、娘を生むことができる取り分として、天からすべての万物の所有権を移譲されるようになっているのです。
ですから、皆さんも、移譲を受ける前に祝福を受けてから、祝福を受ける前に所有していた物を蕩減復帰しなければなりません。そのためには、取り戻す過程で、一時的に私たちの所有になった物を天の物として返還してから、再び分配を受けなければなりません。返還は、真の父母がします。偽りの父母がすべてひっくり返しておいたので、真の父母が返還してから、その次に、全世界の人々を祝福してあげた基盤の上で、全世界の所有権を相続させるのです。再分配です。その時から、所有権の設定が始まります。これが原理観です。
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