17 大きな魚を釣ろうとすれば、釣り針が底の近くに行かなければなりません。魚の中で、飛び跳ねるものは小さな魚です。大きな魚は飛び跳ねません。「飛び跳ねてどうするのか」と言うのです。釣り糸を垂らして、釣り針を海底から指尺で一つ分ほど浮かせて匂いを漂わせておけば、魚がゆっくりと近寄ってきます。魚が泳ごうとすれば、ひれを動かさなければなりません。ですから、魚たちは水平に進むとき、(ひれが海底に)引っ掛からないように、(海底から)指尺で一つ分以上、浮かんだ高さで泳がなければならないというのです。それを計算して釣り針を投げれば、間違いなく大きな魚がかかるようになっています。
私が近頃、最後に釣った鮭は、十五・三パウンドでした。今まで私たちが釣った鮭の中で、一番大きいものです。最後にそれを引っ掛けました。それは、どれほど力が強いか分かりません。網でそれをすくわなければならないのですが、夕日で照らされて魚が見えませんでした。網の中に三分の二が入っていて、頭だけが出ているのに、ものすごい力で跳び出そうとしていました。そのような時、間違えば糸が切れるのです。
18 釣り糸には長さによって数多くの種類があります。たくさんの釣り糸がかかっています。ところが、釣り針が水に入るやいなや、食いつく場合もあります。だからといって、それを引っ張り始めれば大変なことになります。糸が長く、釣り針が遠くに行くほど、深い大洋になっているのです。
それで、本当の釣り人であれば、小さなものが食いついてきても、そこに気を取られてはいけません。「お前が食いついたのか!お前たちの群れはどんどん集まりなさい」と言って待ってこそ、一番大きな魚が遠い所からやって来るのです。その遠い所にいた一匹の大きな魚を釣らなければならないということです。お父様は、釣りがかなり上手です。四十日以上続けて、昼も夜も釣りをやったのです。
19 狩りは、要所を見張っておいて、銃を撃って動物を捕まえるので、道義的ではありません。しかし、釣りはそうではありません。自分で来て、食いついてくれるのです。また、釣りは五歳から死ぬまですることができます。
いくら釣りのチャンピオンだとしても、他の地方に行けば、地方ごとに魚が違うので、釣る方法も変えなければなりません。その地方のやり方でやらずに、自分一人だけのやり方で釣りをすれば、魚が食いつかないのです。ですから、どこに行っても釣りのやり方を習わなければならず、また、どこに行っても教えてあげられるということです。誰もが先生になり、生徒になることができるのです。そのように平等です。
同じ種類の魚でも、食べる物が場所によって違い、釣りをする人が何の餌を与えるかによって違ってくるのです。違う地方に行けば、すべて学ばなければなりません。万国がすべて違います。ですから、釣りに対する楽しみも多様です。
飢餓解決のための釣り教育真の父母様は、「飢娥で苦しんでいるアフリカの人々を生かすためには、釣りと狩りを教えてあげなければならない」と語られた。昔、祭司長たちが祭物を捕まえて天に捧げたように、真の父母様が釣りと狩りについて教えるのは、祭司長の役割を果たせるようにするためであった。真の父母様が釣りをしながら注がれた精誠と成し遂げられた海洋摂理の実績、そしてその心情を、今後、百年後にも、千年後にも、世界万民が相続し、全人類が差別なく、等しく分かち合い、幸せに生きていく共同体の典型をつくろうとされたのである。
20 熱帯地方には、獣たちがたくさんいます。ですから、狩りができなければなりません。また、釣りもできなければ駄目です。飢え死にする人々を生かすためには、魚の獲り方を教えてあげなければならず、狩りをして生き残る方法を教えてあげなければならないのです。
昔、祭司長たちは祭物を捕まえて、祭祀を執り行いました。私が動物を捕まえるのは、統一教会員たちを祭司長にするためです。それは神聖なことです。釣りと狩りを習えば、これからチームをつくってアフリカに行き、助けてあげるようにするのです。アフリカへ狩り宣教に送り、釣り宣教に送って、貧しく暮らす人々を助けてあげることにより、これを全世界に広めなければなりません。どこに行っても釣りをし、狩りをして、飢え死にする人々を生かす道もあるというのです。
21 釣りは簡単です。アフリカの奥地でも、女性たちはみな、針を持っています。ろうそくをともして針を熱し、釣り針を作るのです。昔、私はそのように作って(釣りを)しました。釣り糸も買う必要がありません。ナイロンの糸はいくらでもあります。この釣り糸は、絹糸が問題ではありません。そして、重りは鉛の塊を切ってぶら下げ、浮きはきび殼を切ってぶら下げればよいのです。そのようにして餌を通し、釣り竿がなくても、それを投げておけばいくらでも魚を釣ることができます。
無尽蔵なのが魚です。魚は、水があればどこにでもいるので問題ありません。女性たちが釣りのやり方を知らないので問題なのです。今までそのようなことを教えてくれる指導者がいませんでした。ですから、お父様は釣りをせざるを得ず、狩りをせざるを得ないのです。
22 飢え死にするアフリカの人々や第三世界の人々は、釣りのやり方が分からなくて死ぬのです。釣りさえすれば、絶対に飢え死にしません。至る所に川があり、湖があります。魚がいくらでもいるのです。ですから、獲る方法を教えてあげ、養殖する方法を教えてあげなければなりません。そのようなことを、既にお父様がしています。
釣りは糸さえあればよいのです。針はどこにでもあります。ろうそくをともしておいて針を熱し、釣り針を作って釣りをすれば、いくらでも魚を獲ることができます。そして、餌はどこにでもあるのです。一人で、十人の赤ん坊を毎日養っていくことも問題ではありません。人の背丈ほどの魚が釣れるのです。そのような環境的条件にもかかわらず、指導者がいなくて、それができずにいるのです。
23 世界で一年に約二千万人が飢えて死ぬのですが、その人々をどのように救うのでしょうか。お父様は、釣りが好きなので釣りをして回っているのではありません。釣り針を眺めながら、大洋を越え、その二千万人のことを考えるのです。真の父母の血と肉を投入してでも、助けてあげられる道を開かなければならないというのです。それを誰も考えていません。それを忘れないようにするための作戦です。ですから、たくさんの魚を獲って、海を通して流通させるのです。海でなければ、この人々を生かすことはできません。
お父様は八十の老人ですが、雨が降っても雪が降っても、時間を惜しんで釣りをしようとしているのに、私たちの指導者たちはみな、言い訳を言って逃げ出そうとし、何としてでも私が釣りに行けないようにしようとしています。それは、私がなぜそのようにするのか分からないからです。
その休んでいる時間にも、多くの人々が死んでいきます。お父様が統一教会の責任者たちとそのような活動をしたことによって、その地は、これから聖地になるのです。今後、多くの人々が、このようなみ言を通して釣りの精神を受け継ごうとすれば、それが後代に世界の救いの道を拡張し、高速道路を走っていける動機になると考えるのです。百年、千年を考えてそのような活動をしているというのです。
24 宣教師の皆さんも、事業感覚を備えなければなりません。そうして、一年に世界で二千万人も飢え死にしていく生命を、生かすことができなければなりません。土地がある所では農業の方法、水がある所では養殖の方法を教えてあげて、飢え死にしないようにしなければなりません。婦人たちと子供たちが釣りのやり方を知っていれば、どうして飢え死にするでしょうか。水があり、魚がいくらでもいるのに、なぜ死ぬのかというのです。ですから、私は釣りをするのです。
皆さんが釣りを教えてあげなければなりません。また、狩りも教えてあげなければなりません。そこには鳄(わに)やら何やら、獣たちがどれほど多くいるか分かりません。ですから、「世界平和観光狩猟連合会」も世界平和のためのものです。
なぜこのようなことをするのでしょうか。飢え死にする世界の人々に、真の父母が責任をもたなければなりません。全世界の人類が兄弟なのに、放棄することはできないというのです。毎年、二千万人が統一教会員になると考えてみてください。このようなことを統一教会が主導して世界的に行えば、どれほど多くの人を救えるでしょうか。
ですから、農業をする方法、釣りをする方法を一刻も早く学びなさいというのです。飢え死にする人々を助けてあげるためです。それゆえ、その方法を相続して帰りなさいというのです。
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