「アジア平和女性連合」の創設大会が、一九九一年九月十七日、七千人以上の日本の女性代表が参加する中、東京ベイNKホールにおいて開催された。真のお母様はこの日、「アジアと世界を救う真の愛運動」というテーマで、初めて講演をされた。
また、「アジア平和女性連合」の韓国支部創設大会が一九九一年十月三十一日、女性指導者二千人以上が参加する中、ソウルのリトル・エンジェルス芸術会館において開催された。この日の大会を通して、韓国の女性たちと日本の女性たちが一つになり、アジアと世界の平和を実現する先頭に立つことを決意した。特に、真のお父様は、アダム国家である韓国とエバ国家である日本の女性たちが、真のお母様を中心に、世界復帰のために尽力することを願われた。
1 一九九一年九月十七日に日本で「アジア平和女性連合」の創設大会をしました。そして、十月三十一日に、ソウルで「アジア平和女性連合」韓国創設大会をしたのです。その時から、六ヵ月以内に「世界平和女性連合」の大会まで終えました。そのような大会ができるとは、誰も信じませんでした。日本も同様でした。
日本は、「アジア平和女性連合」を中心として、五年も準備して大会を行いました。そうして、十一月二十日にオリンピック公園フェンシング競技場で全国大会を開催したのですが、「その短い期間に、一万人を大会に参加させることができるのか」と言いました。ところが、二十日間でたやすく一万五千人を満たしたのです。そして、その時から四ヵ月を経て挙行された「世界平和女性連合」創設大会に、十六万人が参加しました。お母様がこのように講演することによって、お父様の横に立つようになったのです。
天の国に入っていくときには、二人で一緒に入っていかなければなりません。そして、子女たちがその後ろに付いて入っていかなければなりません。それを手引きしてあげなければなりません。解放してあげなければならないのです。今までの蕩減復帰過程に、女性の恨がたくさんあります。
2 韓国の女性たちと日本の女性たちを連結させて戻ってくることのできる時になったので、「アジア平和女性連合」を通して、日本の女性たちと韓国の女性たちが一つになりました。国家を越え、お母様を中心としてアベル・カインの基準を三回で立てたのです。
一九九二年四月十日、ソウルで開かれた「世界平和女性連合」創設大会にも、日本から五千人以上が来て参加しました。こうして、韓国が姉の立場になりました。復帰された姉を中心として一つになることによって、国家的にカイン・アベルの立場で一つになるのです。日本がカインの位置で一つになることによって、二つの国の女性が、統一圏をもったお母様を中心として、母になれる代表的基準に立ったので、「アジア平和女性連合」を中心として、「世界平和女性連合」の創設が可能だったのです。これを宣布することによって、天に帰るに当たって、今まで後ろから付いてきたエバがお父様の横に立つようになり、父母圏が立てられたのです。
3 一九九一年九月、アラスカにいる時のことです。日本がエバ国家なので、日本の女性たちを糾合し、韓国の女性たちと一つになることができる準備をしなければならないのですが、道がありませんでした。私しかやる人がいません。ですから、お母様が日本に行って、七千人大会をしなければならなかったのです。
その話を最初に聞いたときは、青天の霹靂のように思ったでしょう。日本の国家指導者の夫人まで出てきて座っているのに、その前に行って演説しなければならないというのは、普通のことではありません。しかし、それを断行したのです。それを連結させて韓国に戻ってきて、「アジア平和女性連合」から始めて、「世界平和女性連合」の大会まで行ったのです。韓国が主体国なので、アジア平和女性国家ではなく、世界平和女性国家にならなければなりません。
4 世界的な時が来れば、お母様は大衆の前でお父様の代わりに講演しなければならないので、日本語を勉強しなさいと言いました。日本に行ってエバ国家を和合させようとすれば、韓国語ではできません。日本で生まれたわけでもなく、日本語の勉強を始めてからいくらもたっていないお母様が流暢な日本語を語れば、日本がぺちゃんこになるのです。それで「日本語を勉強しなさい」と言いました。何の条件もありません。そのように従順にしながら、お父様の後ろを影のように付いてきたのです。そのような面で、お母様は偉大なのです。
5 お母様が初めて大衆の前に立ったのは、日本の東京ベイNKホールで開かれた「アジア平和女性連合」の七千人大会の時でした。初めてにもかかわらず、堂々とした姿勢でやり遂げました。なぜそのようにできたのでしょうか。お父様に付いていって国際会議に何度も参加し、大勢の有名人士たちから注目される立場にいたのです。そして、お父様が語ることを聞きながら分析をしました。そこで、大衆が感化されるよう抑揚をつけながら演説をすると、大衆は真摯に聞くのです。すらすらと率直に解かれていく内容を聞いて、感化されるのです
6 お母様が初めて壇上に立ったのは、日本で開かれた「アジア平和女性連合」創設大会の時でした。その時、七千人の聴衆が集まりました。その人たちは、すべて上流層の人たちです。日本の女性たちの中で、それなりに有名な人たちが幾列にも並んで集まったのです。初めて壇上に立ち、一度見渡して聴衆をすべて把握し、みな感動させました。その次は、東京ドームで五万人を対象に演説をしなければなりませんでした。
ところが、お母様は日本語がよく分かりませんでした。それでも、「日本語で演説しなさい」と言いました。ですから、夜寝る時間もありません。十五日しか残っていなかったのです。日本の聴衆の前に出ていって、母としての権威を立てなければならないというのです。
それほど大勢の人たちの前で演説しようと思えば、男性でも足が震えるのです。それなのに、女性が五万人の聴衆の前で演説するというのは、簡単なことではありません。それだけお母様も深刻だったでしょう。しかし、東京ドームの五万人大会は大成功でした。
7 お母様が日本で大会を成功裏に行ったので、その次からは、四十ヵ国を巡回しました。今は、英語で、長子圏のアメリカで勝敗を決したいという思いをもっているでしょう。英語だけでなく、どんな言葉でも、すべて話すことができます。
ですから、今からは、「スペイン語で語りなさい」と言ったり、「何々の言葉で語りなさい」と言ったりしても、四十日以内に可能なのです。そのような自信をもっています。何であっても、努力する人にはかないません。
8 日本の女性たちを韓国の女性たちと一つに結び、お母様と一つになるようにしなければなりません。それが復帰です。お父様は男性として長男と次男を復帰し、それと同時に、お母様は女性を中心に長女と次女を復帰しなければならないのです。そのように復帰して神様のみ前に戻っていくのは、アベルを通してカインである長子を復帰するのと同じ歴史過程における闘いでした。
お父様としては、もうすべて終わりました。長子権が復帰されたというのです。アメリカとソ連を中心として長子権復帰が成し遂げられたので、次はお母様が復帰すべき立場です。それで、代表的な国家である日本と韓国の女性を結んであげるのです。結局、お父様はメシヤとして大勝利をした基盤の上で、エバの勝利基盤をつくってあげるのです。
9 これから女性時代が来ます。女性時代が来るので、婦人たちを動員しなさいと言ったのです。アダム国家の前にエバ国家として選ばれた国が日本なので、日本から始めるのです。お母様が日本のすべての女性たちを一つにまとめなければなりません。外的女性と内的女性を完全にまとめなければならないのです。
それで、私が日本の女性たちを済州島の修練所に呼んで、これまで不完全だったものをすべて指示して、日本の一つの県に百人ずつ女性を配置しました。日本は島国であるがゆえに、島から上がってこなければならないので、韓国の島を通して陸地に上がってくるようにするのです。
そのようにしようとすれば、お母様が橋を架けなければなりません。お母様が橋を架け、統一教会の女性たちが日本の女性たちを受け入れるようにしなければなりません。そのようにしなければ、大変な騷動になります。受け入れようとすれば、収容態勢を整えなければなりません。収容態勢を整えれば整えるほど、日本の女性と韓国の女性が早く一つになるのです。
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