16 精誠を尽くすことができない人は、弁明が多いのです。精誠を尽くす人は、度数をより大きくして尽くすべきことがいくらでも残っているので、弁明できないというのです。ですから、神様は沈黙を守ります。創世以来、今まで一言も語らず、精誠を尽くしているのです。神様は、全体のために、どんな存在とも関係を結んでいないものはないと言える位置に立つために、低い世界がより高い世界に進めるよう、今もさらに多くの精誠を尽くし、さらに多くの忠誠を尽くしているというのです。
今、父母様が行く道も、それと同じです。いつも新たに出発するというのです。それは、新しい精誠が加重されなければならないということです。そこには敗者の悲しみが伴うことはありません。勝者の喜びだけが伴うのです。
17 民族と世界に残る経済基盤を築いて、万民解放のための蕩減条件を立て、神様とサタンに公認される立場に立とうとすれば、途方もない精誠を捧げなければなりません。お父様はそのように生きてきました。ですから、清平にも毎日のように行ったのです。夜十二時になって帰ってきては、その地が見たくて、翌朝に再び行くのです。いつも精誠を捧げました。精誠を尽くさなければなりません。精誠を束ねて、天のみ前にお返ししなければなりません。私の血と汗と共に精誠を捧げ、お返ししてこそ、天は、国と世界を再創造できるように材料を供給する主体者として、恥ずかしくないというのです。お父様は原理どおりに生きてきました。
18 統一教会の思想は恐ろしいのです。私たちは南米で、誰一人に対しても被害を与えようとは思いません。そのような活動をしながらも、疲れることはできません。疲れていられないというのです。南米が復活し、世界を助けることができる一つの大陸になることを願っているので、世界を助ける希望を神様が捨てない限り、南米は捨てることができません。精誠を捧げる人がいれば、そうだというのです。
お父様も八十歳近い年齢になっていますが、毎日のようにプラスさせるのです。汗を流すにしても、きのうよりもきょうさらにもう一滴流し、歩くにしても、動作をするにしても、さらに一つ加えるのであって、マイナスにはしないというのです。発展するのです。お父様に、停止という言葉はありません。停止は敗退と死亡に連結され、発展は繁栄と天国に連結されるのです。
19 お父様は、説教の題名をあらかじめ定めたり、研究したりしたことはありません。なぜなら、縦的世界がまっすぐに立っているからです。水がまっすぐ垂直になれば、最も速く流れるように、平面が九〇度になってこそ、最も速く流れるというのです。
水道の蛇口をひねれば水が流れるように、聴衆を見れば、その時、その時に必要な人がいるので、様々な話が出てきます。たくさんの話をするので、長い時間がかかるのです。その話によって、何人かが蘇生します。それを知っているので、十時間以上も話すことができるのです。何のためにそのようにするのでしょうか。子女を蘇生させるためです。
20 お父様は道を歩くときも、残り一時間半かかる道を一時間十分もあれば行くことができます。二十分節約できるというのです。他の人々は一歩一歩ゆっくり歩きますが、お父様は足を離す高さがーインチから三インチを越えません。ですから、他の人より一歩で七センチメートルから十五センチメートル先に、もっと進むのです。それゆえ、他の人々が見るとき、非常に速いのです。二里の道を行けば、二十五分から三十分は速いというのです。忙しい世の中なので、速いペースに合わせなければならないのであって、忙しい世の中なのに遅いペースに合わせれば後退していくのです。
21 神様は、素晴らしい教育材料を真摯に、漏れなく準備しました。それを知りませんでした。お父様もそうです。復帰の真理や、死や霊界などを知るに当たって、ただ何となくできたのではありません。何も食べずに十七時間祈り続けたこともあります。十時間、十二時間は普通です。それで、膝頭がすべて固まりました。今は長く祈らなくても、神様が近くにいらっしゃるのですぐに通じます。膝頭に、そのような痕跡があるのです。世の中に真理を知らせてあげなければ、万民解放、人類解放は、どうなるのかというのです。そのように苦労して、ついに探し出したのですが、それを明らかにしてみると、すべて神様が準備していたというのです。
22 お父様が祈るときには、松の木の根が抜け、岩が転がっていくほど力を込めてします。陰暦の五月、六月に、綿入りのズボンをはいて血と汗と涙を流しながら祈り、ズボンから汗と涙を絞り出したことが何度もあります。腰が折れ、骨が砕ける環境でも、神様のみ旨を解怨成就してさしあげるために、身もだえして祈るときには、神様が訪ねてこられて慰労してくださるのです。
23 お父様が祈るときには、この世界の頂上をつかみ、この地球星を回す闘いをします。そうすれば、五分以内に汗が出ます。闘いの中の最高の闘いだというのです。イエス様は十字架を前にして祈るとき、汗を血のしたたりのように流す祈りをしたのですが、それは闘いです。最高の闘いだというのです。皆さんは祈りの必要性を知っていますか。祈って効果がありましたか。そのような体験がなければなりません。祈れば必ず成就するという信念をもたなければなりません。祈っておいて、「神様は聞いてくれるだろうか」としきりに疑ってはいけないというのです。
お父様が指示したとおりに信じ、「成就する!」と言えば、成就するというのです。十年、百年たっても、上がっていくなら上がっていくが、降りていくことはできないと思えば、いつでも神様が助けてくれるのです。いつでも助けてくれるというのです。神様は、何年か活動すれば成就される、そのようなみ旨を成就しようとするのではありません。何億万年かかっても、間違いなく成就しようというみ旨です。そのみ旨に従って、何億万年たっても変わらないという信念をもたなければなりません。神様はそのような人を願うのです。神様が立てようとするみ旨は、そのようなみ旨です。
24 神様は、世話になろうとしません。投入した分以上に返してあげようとするのです。待つのが少し長く感じられるだけです。私が受け取れなければ、私の息子、娘が受け取るのです。ですから、皆さんは千年、万年を見据えて祈りなさいというのです。今、父母様は千年以後のことについて祈っています。万年以後に世の中は、このようにならなければならないという祈りを深刻にしているのです。教主から教会員たちが深刻にそのような祈りをしておけば、その祈りの基準が天上に残っている限り、統一教会は滅びないのです。
誰もが「滅びよ」と言っても、絶対に滅びません。「統一教会は滅びろ」と祈る人がどれほど多くいるでしょうか。そして、そのような祈りをしたならば、その時代がどのような時代かを予測しながら、その時代の責任者としてふさわしい人になるために努力しなければなりません。そのために、神様のように投入して忘れ、投入して忘れてしまうのです。その道一つしかありません。分かってみれば、その道だけがすべてのことを解決する秘法だというのです。
25 今まで標語を立てて祈ってきたことが三つあります。一つは信仰に対する祈りです。神様のみ前に進み出るときは、世の中の人が信じられないことを私が信じなければならないというのです。神様を中心として語る言葉は、どんな言葉でも信じられないものがないというのです。
次は、知恵のために祈りました。物事の判断に対する明確な主体性をもたなければ、指導者になれません。「ソロモンの知恵以上の知恵を下さい!」と祈りました。
その次には愛です。民族を超越して、どんなことをしてでも、数多くの民族の前に私が愛をもって現れるときは、私にそれを願わない人はいないという思いをもって生きるのです。誰もが、その愛に引っ張られてくるというのです。「終わりの日」は愛が冷えた時代なので、その世界で新しい運動をするためには、その愛が何よりも必要です。この三つが、今まで祈った内容です。そのように祈っていくと、いつの間にか、すべて成し遂げられていたのです。
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