真の父母の孤独な立場
皆さんは先生が一日中家の中に閉じこもり、木を見たり、鳥を見たりして暮していると思いますか。それが先生の生き方だと思いますか。金持ちで気ままに生きて来た人達は、霊界では全く特別な所に住んでいるということを皆さんに知っておいてもらいたいのです。彼らは心底恥じています。先生の人生を調べてみれば、それが苦しみに満ちたものであることを皆さんは知るでしょう。先生の基準は物凄いもので、貧困とか苦痛のレベルを越えています。先生は考えられる限りの辱めを受けて来ました。しかし神様を愛するという心は決して変わりませんでした。
先生は安楽な生活をしたことがありません。イースト・ガーデンでもそうです。むしろ、先生はその場所を他の場所と同様、涙を流す場所として用いて来ました。いつでもです。皆さんはこのことが分からないのですが先生は生涯ずっと神様のために涙を流し続けて来ました。神様もこれをご存知なのです。レバレンド・ムーンがどういう生活をして来たか、神様はつぶさに知っておられます。だから先生が死んでも、神様は先生のために社を作ってくださるでしょう。先生が生涯神様のためにやって来たことを神様は決して忘れないでしょう。
皆さんの運命は先生に会うことになっていました。皆さんは先生と会った時、心に何かを感じました。それは目に見えないきずなです。それは神様が先生のことをご存知だからです。先生は毎日新しいことを考えています。指導者達は先生を二十年か三十年知っています。それでも先生は毎日、彼らに新しい考え新しい情報を与えています。先生は彼らにとっては依然として謎の人です。彼らは先生のことを良く知っており、毎日先生と会う生活に慣れているというと皆さんは思うかも知れませんが、そうではありません。先生が次に何をするか分からないから、彼らが先生に会う時の感情は恐れに近いものです。先生が何を考えているかが彼らには今でも本当は分かっていません。皆さんは先生が好きなのですね。しかし、どんなに先生を身近に感じたとしても、先生を完全に知ったという気持ちにはなれません。皆さんも先生の中にある、ある種の威厳と恐ろしいほどの力を感じています。先生はこの家に孤独な男として生きています。誰も本当には先生のことが分かりません。お母様や子供でさえそうです。
だから先生が皆さんに指示を与える時、それを軽々しく扱ってはなりません。日本のメンバー達は先生を軽々しく扱ってはならないことを知っているのですが、アメリカ人達はまだそれが分かっていません。日本人達は何も聞かずに黙って従って来ます。それは大きな力であり、また忠誠心でもあります。先生が韓国と日本でやって来たことに対して、多くの人が批判して来ました。韓国と日本からたくさんのものを取って、それを全部アメリカのために使っていると言って、先生を批判しました。しかし彼らには、なぜ先生がそういうことをするのか分かっていませんでした。何年も経って、先生のビジョンが次第に形を持ち始め、今では、人々は先生の仕事を真剣な目で見つめています。畏怖の念さえ持っています。キリスト教の学者や神学者達も信じられなくて頭を横に振っています。我々のビジョンはとても偉大なのです。
皆さんは先生のことを良く知りたい、先生の近くにいたいと思わないのですか。そうであれば、皆さんはとてもまれな普通でない生き方をしなければなりません。先生の指示に従って狭い生き方をしなければなりません。皆さんはそういうふうに運命付けられています。今ではとても有名な学者達が、レバレンド・ムーンに会えないだろうかと言って指導者達の所へやって来ます。普通のメンバー達の所へさえ来ます。皆さんはどうなのですか。皆さんもそれと同じ思いを持っているのですか。頻繁に先生に会いたいのですか。「私は先生から指示を受けるのに値しない男です。こういう地位にいるべきではありません。私よりももっと準備された人がこの地位にいるべきです。何という栄光でしょう」。そういうふうに皆さんは思ったことがありますか。
真夜中に月を見ながら、また太陽が昇ったばかりの早朝に、深く冥想をしたことがありますか。海の遥か向こうを見ながら、自分の地位とか運命について考えたことがありますか。「自分は真の父母に直接つながっている特別な人間です。直接、真の父母から指示を受けることができます」。そういうふうに考えたことがありますか。全宇宙が皆さんを羨んでいることを考えたことがありますか。
皆さんは先生のために働くことにどれほどの栄光を感じているのですか。イエス様のために働いた弟子達はどうでしょうか。イエス様の時、人々には受ける器がなかったのでイエス様は原理を教えることができませんでした。弟子達は教育を受けておらず、何も分かりませんでした。彼らはただイエス様の中に何かを感じ、従って行こうと努力したに過ぎませんでした。イエス様が基台を造るのをどうやって援助したら良いのかすら、彼らは知りませんでした。彼は孤独の中で亡くなりました。全く孤独でした。
ペテロが第一弟子でした。彼は無教育な一漁師で原始的な人間に近かったのですが、今誰もが彼を聖人として崇めています。皆さんは神学校卒業生ですが、ペテロよりも劣った人間になるつもりですか。もしイエス様が一箇所でもいいから「真の父母」という言葉を聖書に残しておいてくれたならば、先生はこれほど苦しまなくてもよかったでしょう。
もしイエス様が聖書の中のどこかに少しでもいいから人間の堕落について、どうやって堕落が生じたのか、どうやって罪が侵入したのかを教えていたならば、先生はこれほど苦しまなくても済んだはずでした。今日、二千年経って全く新しいメッセージがやって来ました。今、先生は人生のあり方を教えています。人々は先生のメッセージを読むのですが、そのメッセージは今から二千年後の人々のためのメッセージでもあります。彼らは理解できるというだけでなく、彼らの「血と汗」、彼らの生き方となるものなのです。そういう基準で先生は教えています。
そういうことを皆さんは考えたことがありますか。「ああ、お父様はいつもおかしなことを言ったり、教えたりされる」と皆さんは良く言うのですが、先生は二千年後の聴衆に向かって話しているのだから、それは当然なのです。「働き過ぎて、使命の途中で死ぬことがあっても自分は後悔しない」と先生は思っています。皆さんはどうなのですか。そういうふうに皆さんは考えているのですか。そういう決意を皆さんは持っているのですか。
分かりましたか。特に神学校卒業生の皆さんは分かりますか。皆さんには特権と責任が与えられています。先生は皆さんにこのムーブメントのための記録を樹立し、その記録を付けておいてもらいたいと思います。先生が行かなければならない時がやって来ます。そうしたらその後皆さん一人一人、自分の「使徒行伝」を記録すべきです。皆さんは神様の目から見て大きな負債を背負っています。三年間、先生は神学校に特別の注意を払って来ました。ほとんど毎日そこへ行きました。そして細かいこともほとんどすべてにわたって先生が気を配りました。時間があれば必ず、先生は神学校に行きました。しかしその三年間も終わり、神学校についての先生の使命も完了しました。
先生は皆さんに対して無責任だったことは一度もありません。しかし、皆さんはオーシャン・チャーチにもカープにも無責任です。自分の使命について何も考えないならば、神様は皆さんを指導者としては認めません。まず何でもやりたいと思うことをやってそれから自分の使命について考える、そういうことは先生は認めません。神様も認めません。一日二十四時間、先生は使命のこと以外に何も考えません。
皆さんはこれ以上のメッセージを必要としません。皆さんはメッセージを持っています。皆さんの使命がオーシャン・チャーチであれ、カープであれマスター・マリーンであれ、皆さんの体と魂から出て来るすべてのエネルギーを、その使命に投入しなければなりません。それが重要なことだと思わないのですか。先生は疲れていません。足が痛みだしたら、先生は自分の足に向かって「足よ、どうして不平が言えるのですか。どうして私に従わないのですか。お前を切り捨ててしまうぞ。私は紙の御旨を行なっているのだ。お前はそれを助けなければならない」と叱りとばします。こういうふうにして先生は自分を前に押し出していきます。時には、実際に自分の足をぶつことさえあります。
先生は毎日、自分を急き立てながら海に出かけます。エンジンが故障した場合、先生はがっかりするのですが、その日先生が陸の上にいることを神様が何らかの理由で願っておられるのだということに気が付きます。そしてその理由を先生は探します。先生にはそれしかないのですが、皆さんは時々理由もなく陸の上に残っていたいという気持ちになって、休憩したり昼寝をしたりします。しかし先生の良心は先生がそういうことをするのを許しません。
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