この世に、そのようなことがあるでしょうか。これが聖書にある内容です。ところで、なぜそのようにしたのでしょうか。そのようにせざるを得なかったからです。堕落した結果がそうだったので、そのようにしなければ天道が解けないのです。
ユダは、タマルとそのような関係を結んだのち、自分の印を与えて別れました。舅のユダは道端でそのような関係をもったのですが、その相手が嫁であるとは知りませんでした。そうこうしているうちに、タマルについてうわさが広まりました。
寡婦が子を身ごもったので、「殺せ」と大騒ぎになりました。タマルは死ななければならない立場でした。そのとき、ユダは族長でした。そのうわさはユダの耳に入りました。それでユダの命令によって殺そうとすると、タマルは事情を話しました。自分は不法な行為をしたのではない、この子の父はユダであると言ったのです。
タマルは子供を生むことになります。その子供は双子でした。ところが、その双子が腹中で争ったのです。リベカは、自分の腹中でエサウとヤコブが争うので神様に祈祷すると、神様は「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(創世記二五・23)とおっしゃいました。これと同じように、タマルの腹中でも争いが起きたのです。子供を生んでから交替するのではなく、腹中で交替しなければならないのです。
聖書の創世記第三十八章にこのような内容があります。ユダの息子が生まれたのですが、最初がペレヅで、そのあとにゼラが生まれました。彼らが生まれるとき、兄が先に出るために手を出しました。それでその手に赤い糸を結びました。ところが、弟のペレヅが兄を押し退けて先に出てきたのです。これが腹中の闘いです。
胎中で兄を押し退けて、弟のペレヅが兄として生まれることによって、兄と弟をひっくり返そうとする神様の摂理に勝利の結果をもたらすことになりました。これはとりもなおさず、人を逆に胎中に取り込んで、胎中で闘って兄弟をひっくり返した結果をつくったのです。このような歴史は、聖書以外にはありません。それゆえ、これは神様の摂理と言わざるを得ないのです。
胎中で勝ちましたか、負けましたか。勝ったので、その胎中を通して勝利したその基盤を通し、貞操をもって命を捧げることを覚悟しながら、その思想を受け継いだ女性を通して、神様のみ旨を立てることができたのです。
神様は、血統的に汚された血筋を交替するために、このように二千年の間、歴史的な摂理をしてこられました。そうしてヤコブを経て、ユダの家庭を通して、初めてこのことが決定されたのです。結局、血筋を中心として闘い、天の側が勝利した基盤を築いたのです。それゆえ、イエス様はユダ支派を通して現れなければならないのです。
イスラエル民族が、サタンの国以上の国を成し遂げるまで二千年という期間を待って、そのように清まった血統、勝利した伝統的な血筋の因縁をマリヤが引き継ぐ位置に立ったので、マリヤの腹中を通してサタンが讒訴できない、初めて神様だけが愛し得る息子として生まれた方が、イエス様なのです。
有史以来、このように血筋を清めて生まれた人は、イエス様しかいません。それゆえ、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・6)という決定的なみ言を語ることができるのです。イエス様は有史以来、神様の愛を受け得る一番目の息子として生まれたので、ひとり子であると主張できるのです。
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