イエス様に侍るべきだったヨセフの家庭
本来ヨセフの家庭は、イエス様に侍り、天の法度を立てなければなりませんでした。それはなぜでしょうか。イエス様は天の王子であるからです。それならば、天の王子に侍るマリヤはどのような人物でしょうか。マリヤは、イエス様の母ではありません。母は母ですが、神様のみ旨を中心として見れば、母ではないのです。
神様には、息子を生める娘がいません。それでイエス様も娘を通して生まれたのではありません。本来はエバ自体が完成して、神様の愛に一致できる結果のもとで、娘に決定されなければならなかったにもかかわらず、堕落したので神様の娘になれなかったのです。
このように神様の息子を生める女性がいないので、神様は仕方なく僕の体を借りてでも、息子の種を残さなければなりませんでした。そのような運命から僕の立場であるマリヤを通して、ついに天の王子が生まれたのです。天の王子が生まれたのならば、その次に天の王女がいなければなりませんが、王女がいませんでした。
それならば、マリヤの果たすべき使命とは何でしょうか。僕から娘に、娘から母に上がることです。復帰の路程を経なければならないのです。では僕の体で、神様の娘になり得る立場に立つためには、どのようにすべきでしょうか。神様がアダムを創造し、アダムを見本としてエバを造られたように、マリヤも創造原則によってイエス様に従って復帰されなければならないのです。
マリヤは、イエス様の願いと一つにならなければなりませんでした。神様の息子であるイエス様は、兄や姉がいるわけではなく、父がいるわけでもありません。不憫にも世の中で信じられぬ僕の体を借りて生まれてきたので、イエス様と因縁を結んでいる人はマリヤしかいませんでした。ここでマリヤは、イエス様の心情を知り、イエス様のみ旨に従って、千万の死の道を歩んでも、天の王子であるその息子が行動できるように、家庭、社会に、万全の準備をしなければならないのです。
その次には、天道を立て得る生活の法度が、マリヤとイエス様の間にできなければならず、その事情を中心として、マリヤはヨセフを引っ張って入り、イエス様のみ旨に応じられるようにしなければならないのです。それがマリヤの責任だったのですが、マリヤの立場は、そのようにできる自然な立場ではなかったのです。
マリヤはか弱い女性の身で、自らの使命を果たすにはあまりにも手に負えない環境に追い込まれていました。ヨセフを捨ててみ旨だけに従っていくこともできず、自分の息子、娘を捨てて、イエス様だけに従っていくこともできない立場だったのです。あれもこれもできず躊躇する中で、イエス様は独り、時の責任と使命をすべて負うようになったのです。
本来マリヤは、天の生活的な規範を中心として、僕の身で息子の行ける天の規範を立てなければならず、娘の行ける天の規範を立てなければなりませんでした。その次には、神様の王子の前において、王女として代を継ぎ得る接ぎ木をされなければなりませんでした。その接ぎ木されるとは、アダムの体を通してエバが創造されたように、イエス様のみ旨とイエス様の思想とイエス様の願いに、マリヤが一致して復帰されるということです。マリヤにはこのようなことを植えて、刈り入れるべき責任がありました。
そうしてイエス様の骨の中の骨であり、肉の中の肉になることができる一人の新婦をヨセフの家庭を中心として、マリヤの精誠の基台の上に決定しなければなりませんでした。ところがそのようにできなかったので、イエス様はマリヤをつかんで涙を流しながら、「あなたは天倫によって、私と因縁が結ばれているので、天のみ旨を立てなければならない」と、御白身の心情を吐露されたのです。けれどもマリヤは、それを受け入れて協助する立場に立つことができなかったのです。
それゆえイエス様は、母がいたとしても天を中心として愛し得る母をもつことができなかったのです。マリヤは地上の母として、誰よりも天の恩寵をもってイエス様を愛さなければなりませんでした。たとえ僕の体だとしても、僕の中で最高の愛を天の王子から受けるべき母の立場でした。それにもかかわらず、そのようなことができる立場にマリヤが立てなかったので、イエス様は三十歳のときに家を出ていくことになったのです。
イエス様は、三十年の生涯を過ごすなかでマリヤとヨセフが責任を果たすことを待ちましたが、マリヤはそのような考えさえもできなかったのです。これ以上無為に歳月を送ることができず、三十歳のときに公的な路程を出発したのです。そうして再度、神様のみ旨に従い得る氏族編成に乗り出したのです。
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