結婚をめぐるイエス様の事情
イエス様が結婚するとしたら、誰と結婚しなければならないのでしょうか。腹違いの妹としなければならないのです。当時あの環境で、処女が妊娠すれば石で打ち殺し、家庭的に淫らなことが起きれば一族が滅びるその当時において、これを行い得る環境的与件になっていたでしようか、なっていなかったでしょうか。ザカリヤの家庭だけ見た場合、妹が姉の夫を奪って妊娠してしまい、(親戚の)兄という者が腹違いの妹を強奪してしまったということになるのです。それが明らかになる場合には、一家が滅びるのです。
ザカリヤあるいはエリサベツ、洗礼ヨハネも、イエス様がどのような人なのかを知っていて、またマリヤもそのような環境にいたのですが、そのようなこと(イエス様が腹違いの妹と結婚)をするならば、目がまん丸になり、唇がこのように折り重なるようになったでしょうか、ならなかったでしょうか。あのように妾から生まれた息子が自分の妹を奪うとなれば、「こいつは淫乱の子だ」と思うのです。
ですから洗礼ヨハネもイエス様を拒否したのです。エリサベツも否定し、ザカリヤも否定し、マリヤも「仕方がない」と思ったのです。十六歳のときに堕落したので、イエス様は「結婚します」と十七歳のときに一度話し、二十七歳のときに話し、三十歳のときに決着をつけるために話したにもかかわらず、聞き入れなかったので家を出ざるを得なかったのです。
なぜ十三数が悪い数になったか知っていますか。イエス様が相対的理想を成し遂げることも、定着することもできなかった怨恨の数なので、十三数は悪いということになったのです。結婚するのは十三歳が最も良いのですが、これを失うことによって、個人を失い、家庭を失い、国、世界、すべてを失ってしまいました。どれほど邪悪で悪い数でしょうか。最も願った数なのに、です。これを三度話したのに、言うことを聞かなかったのです。
ですから十七歳のときに、マリヤを通してザカリヤに話したでしょうか、話さなかったでしょうか。エリサベツに話したでしょうか、話さなかったでしょうか。洗礼ヨハネは知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか。「こいつ、私の妹を奪って行こうとするのか。私も結婚していないのに、どうしてだ。一族を滅ぼそうとして・・・」と思ったはずです。イエス様は洗礼ヨハネの腹違いの弟ですが、「こいつ、私も結婚していないのに、何だ、私の妹にまたこうするのか。この淫乱の代表!」と思うのです。一族を滅ぼす代表だと言うのです。
イエス様は結婚できますか、できませんか。父が見ても「こいつ!」、エリサベツが見ても「こいつ!」、そして洗礼ヨハネも「こいつ!」、マリヤも「こいつ!」と思ったのです。そうして二十七歳の時に至っても、「そんなことをするのか、こいつ」と思ったのです。それが駄目なので、三年後にその談判をつけたのですが、「こいつ、これは何だ」と追い出すしかなかったのです。父もそのようなイエス様のことを見たくはなかったし、母も兄弟も同じでした。それならばイエス様は、どこに行くのでしょうか。追い出されることになるのです。
ですからイエス様は家を出て、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と言ったのです。これはいったい何ですか。歓迎されるべき家庭と両親から追い出され、兄弟から追い出されました。家庭から追い出されたイエス様は、そのような環境を再びつくるために、弟子たちを中心として努力をしたのですが、いくら夢見ても不可能なことなのです。
弟子たち同士がけんかし、怨讐になって嫉み合うのを見ると、同じなのです。それで希望がないので、霊的救いだけでも得るために十字架で亡くなって、霊界の母を地上に送り、イエス様と霊的な真の父母となって霊的重生の摂理を始めたのです。キリスト教は国がなく、地によりどころがないので、国で血を流して死ぬようになったのです。
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